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 ……いたい……
 最初にそう思った。
 今まで眠っていたらしい。
 ずいぶん長いこと眠っていた気がする。
 暑い。
 体中が痛い。
 頭が重い。何も考えられない。脳の代わりに泥でも詰まっているようだ。
 コンクリートの、四角い部屋。壁の割れ目から光が見える。
 彼女はのろのろと立ち上がり、顔の高さにある割れ目をのぞいた。割れ目の向こうは外の世界で、彼女の胸の高さに地面があった。外は街だった。
 彼女は、人ひとりやっと通れそうなその割れ目に手をかけ、崩れかかった壁に足を乗せてようやく上半身を外に押し出した。ひどい息切れとめまいでしばらく動けなくなった。
 息をととのえて下半身も外に出した。
 ぎらぎらと照りつける太陽で頭ががんがんした。そのまま這って日陰へ行き、そこにへたりこんだ。そこに蛇口を見つけてひねったが、水は出なかった。
 ……みず……
 水が欲しい。彼女は立ち上がり、のろのろと歩き出した。
 町には誰もいなかった。無気味な静けさの仲、ただ彼女だけがさまよっていた。彼女の銀色のボディースーツがぎらぎらと光った。

 街から離れたところに川があった。川は冷たく透き通っていた。彼女は倒れ込むように水に入った。水に潜り、むさぼるように飲んだ。
 顔を水から出し、息をついて岸に上がった。
 そうしてやっと、今の状況を考える余裕が出てきた。
(私は……あの街に住んでいて、警察官で……)
 記憶が、少しずつよみがえる。
(あの時は……昼休みだったから外へ出て……その後どうしたっけ……)
 その後が思い出せず、彼女はふと立ち上がった。その途端、
「おい!」
 頭の上から男の声が降ってきた。ぎょっとして声のする方を見上げると川岸の土手の上に誰かが立っていた。その横に、エアバイクらしきものも見える。
「なんだよ、警戒することないだろ? まあいいや、来いよ」
 若い男のようだ。
 職業柄、少々警戒気味に、彼女は人影に近寄った。
 やはり若い男だった。迷彩の長ズボン、バラをくわえて大きなナイフの刺さったドクロと"DESTROYER"の文字が描かれた黒いTシャツ、わざと乱した短い髪、首に下げたドッグプレートのレプリカ、ごつい黒のスニーカー、腕環のように左手首に二重に巻いた鎖。腰のベルトには、これまた迷彩のバタフライナイフまでもが無造作に差しこんである。要するに、警察官である彼女が一発で補導したくなるようなナリで身を固めていた。……まあ、多少時代遅れ、という点では微笑ましいが。
 そんな彼女の心境にはおかまいなしに、相手はいきなり口をひらいた。
「なあ、歳いくつ?」
「……17」
 警戒を解かずに彼女は答えた。
「ふーん、じゃオレより1コ下か。オレはジルク、ジルって呼ばれてんだ。あんたは?」
「……ヴァルハラ。ルーラと呼ばれている」
「あら、いいじゃねえの」
 ジルと名乗ったその若者は、にっと笑った。人懐こいのか、なれなれしいのか。
「……あ、いやゴメンゴメン。生きてる人間に会ったもんで、ついホッとしてさ」
 照れたようなジルの言葉に、ルーラはさっと青ざめた。
(街に人がいなかったことに、なぜ今まで気づかなかったんだろう?)
「……お、おい……」
 怪訝そうな顔をしたジルにかまわず、彼女は踵を返し、街にむかって駆け出した。
「おい待て、待てったら! 今はぐれたら……」
 ジルは叫んだ。しかしルーラには聞こえていないらしく、振り向きもしない。彼はバイクにとび乗り、後を追った。またたく間にバイクはルーラに追いついた。
「ルーラ、ルーラっ! 行くのか?」
「……行く! さがすんだ、生きてる人間を」
 ジルはそのまま彼女を追い越し、少し先で止まった。
「乗れよ。無駄だと思うけど」

 街は、さっきと同じように無人だった。二人は人影を探し、うろうろとさまよった。
 ある角を曲がった時、ルーラはぎょっとして立ちすくんだ。
 そこは街の広場だった。その広場いっぱいに人間が立っていた。老若男女、ざっと見たかぎりでは千人ほどか。
 それは、この街の人口とちょうど同じくらいの数に思われた。
 しかし、様子が変だった。みな空中のある一点をにらんだまま、誰も動かない。
 ルーラがその中の一人の肩を、震える手でつとさわった。相手はそのまま倒れた。
 ――死体だった。
 愕然として、他の人間をさわった。それも死体だった。
 彼女は狂ったように一人一人をゆさぶったが、だれもみな死んでいた。
 ルーラが悲鳴をあげた。それはしばらく止まなかった。
 ジルはそっぽを向いたまま、止めようともしない。

*       *       *

 街の外、河辺から少し先は瓦礫が累々と積み重なっていた。その隙間を縫うようにして、エアバイクは疾駆していた。
 運転席のジルは無言だった。その腰にしがみつくようにして後ろに乗っているルーラも無言だったが、こちらは口をきくどころではないためだった。
 もう何十回目かのカーブをきると、先ほどとは別の川のほとりに出た。そこでジルはバイクを止めた。
「ちょっと休むか?」
 ルーラは彼の腰から手を外し、のろのろとヘルメットを取った。

 あの後、ショックで物も言えないような彼女を、ジルはとりあえず川岸へ連れて行き、しばらくそこで落ち着かせた。何とか口がきけるようになって彼女が最初に言った言葉は、あまりに自然な疑問だった。
 ――どうして、あんなことに。
 わからない、と言うしかなかった。
 ――とにかく、一緒にこいよ。他の奴もいるから。
 そう言ってジルは、彼女を連れてきたのだった。

 多少落ち着いたルーラは、タンデムシートからジルと言葉を交わす余裕を見せ始めた。
「何人いるんだ?」
「え?」
「……仲間」
「ああ。一人きりさ。でも頼りになるヤツだぜ」
 彼がそこまで言ったとき、頭上をさあっと何かが横切った。
 ルーラには、それは巨大な鳥に見えた。
「あいつだ! おぉい、ヒュー!」
 ジルが空に向かって手を振った。夕焼けの中でその"鳥"は大きく旋回すると、こちらに舞い降りてきた。ジルはその"鳥"に合わせるようにバイクを動かし、"鳥"と並ぶように止まった。
 鳥に見えたそれは、カゴつきのグライダーだった。
「やあジル、その子どうしたんだい」
 気さくそうな声がして、グライダーから人影が降りてきた。
「向こうの街で会った。他には、誰も……」
 ジルは言いにくそうにちらりとルーラを見た。
「そうか……俺は、誰にも会わなかった」
 そう言うと、その人影はひょいとルーラに向きなおった。彼女より少し年上と思われる、長身の青年だった。
「俺はヒュー、飛行オタクでね」
「……私はヴァルハラ。見ての通り警官だが、できる事は何もなさそうだ」
「そうだな。とにかく、どこもかしこも目茶苦茶だからな」
「……どうして、こんな事に?」
 ルーラは、さっきと同じ質問をした。
「さあ……俺にもわからないよ」
「戦争……?」
「いや、そうじゃないと思うぜ」
 ジルが言った。
「昨日から、ヒューと二人であっちこっち見てきたんだけど、どこもかしこも街単位で滅んでる」
「え?」
「いや……街によって、状況が違うんだ。それに、あちこちが変なことになってる。建物から何から、全部が針金細工になってしまった街もある。街があったところに大きな水の固まりがあるところもあった」
「すごいぜ。ビルぐらいの大きさの、直方体っていうのかな、そんな形の水が地面に立ってるんだ。入れ物なんか、何もなしで」
「…………」
「だから、これは戦争なんかじゃない。なにか、なにかわからないけど……とにかく、俺たちの知ってる世界は変わってしまった」
「…………」

 三人は、その場に座り込んだ。
 やがて、誰からともなく話が始まった。


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