一
少なくとも私にとっては、その年の夏の「超新星複数発見」は、世界を揺るがすほどのニュースだった。
いや、あながち私だけでもなかったろう。とにかく、五千万光年の彼方に出現した十個ほどの超新星は、世界各国に一大天体観測ブームをもたらしたのだった。
こんなド田舎駅弁大学の天文台さえもご多分に漏れず、流行の波とやらをかぶる羽目になった。夏休みの自由研究に追われる小学生、みずから超新星ハンターを名乗る若者たち、あるいは帰省した家族連れや滅多に来ない地元の人間までが、小さな施設の中に連日、入れ代り立ち代りひしめいていた。
客員講師兼管理助手の私はといえば、珍しい超新星群の出現に心を奪われつつも、押し寄せる人の波にもまれ、半ば沈没しかかる毎日を送っていた。
二
ある夜、最後まで残っていたカップルをようやく追い払い、正面玄関に鍵を下ろすと、私はロビーのベンチにへたり込んだ。
空気の中にはまだ昼間の人いきれが充分に残ってはいたが、それでもこの一人きりの静寂は、何ものにも替えがたい恵みである。
はずだった。
ぐ、と唐突に、首筋に硬い感触。
飛び上がりそうになった耳元に、声。
「動くな。動くととりあえず、痛いぞ」
私の全身を凍りつかせるには、それで充分だった。
「超新星を、見せろ」
低い声。認識できたのはそれだけだった。
昼間の客が帰らずにどこかに潜んでいたのか。客を装った強盗か。なら金は事務室にある、いや、ある「だろう」。私は客員講師兼管理助手であって施設内の金のありかなんぞ関知しない、ついでに財布は大変に軽い、それを言うべきかいや言ったら腹立ちまぎれに何をされるかさらに対応を誤って一思いにブスリという可能性も……
「超新星を、見せろ」
先ほどより強い声。
私は一瞬で我に帰り、同時に混乱した。
こいつは今、何と言った? 「超新星を見せろ」?
この状況で?
「三度言わせるな。時間がない」
苛立った声。
私は腹をくくることにした。それ以外にしようがなかった。
「……わ、分かった。望遠鏡はこっちだ」
とりあえず言葉をしぼり出し、その勢いで私は歩き始めた。
三
静まり返った廊下に、二つの足音だけが響く。
陳腐な表現だが、その恐ろしさは他人には分かるまい。得体の知れない人物とただ二人きりで、夜の建物の中を歩くのだ。しかも、自分の命を握っているのは、他ならぬそいつである。
人気のなさを恵みだなどと有難がっていた先ほどの自分が心底恨めしい。そう考えるほど、あのときの平和は、もう二度と戻ってこないように思われた。
気がどうかなってしまいそうになったとき、ようやく観測室のドアにたどり着いた。
が、ドアの鍵を開けようとして、私は新たな恐怖に取りつかれた。
望遠鏡から見える超新星に、こいつが満足しなかったら?
そもそも、ここに私が案内させられたこと自体が何かの罠だったら?
だが私には、鍵を開ける以外の選択肢はないのだ。
震える手で鍵を差し、回す。馬鹿にあっさり回ってしまった鍵が憎らしい。
ドアノブに手をかける。ひねる。開く。中に入ると、男も続いて入ってきた気配がした。
そのまま、望遠鏡を調節する。細かいネジを動かす、自分の動作一つ一つが、秒刻みに自分自身の命を削っている気がしてならなかった。
全ての操作を終え、視野の向こうに超新星群を確認すると、私はじりじりと横に動き、場所を空けた。男の顔を見る勇気などなかった。
と、男は倒れこむように望遠鏡にとり付き、接眼レンズに目を押し当てた。
そこで初めて、私は相手の姿を見ることができた。
まだ若い。私の方など見向きもせず、食い入るようにレンズを覗き込んでいる。服装はと見れば、下手なSF映画のような妙な出で立ちをしている。
そして……その手には、何かをしっかりと握っていた。
ピストルか、ナイフか。硬質なライン。
それを視認し、私はとっさに覚悟をきめた。
奴は私を見ていない。
近くにあったイスに、そっと手を伸ばす。
それを振りかぶり、
振り下ろした。
衝撃。
意外なほどあっさりと、男は床に這いつくばった。
その結果に、他でもない私自身が立ちすくんだ。
逃げねばいけないのは知っていた。だが、状況はあまりに現実離れしていた。
「……やってくれたな」
男の声で、私は我に帰った。
とっさに、相手の手の中の武器らしき物を蹴る。それはあっけなく宙に舞い、遠くの壁に跳ね返って金属質の音を立てた。
「……くそ」
うつ伏せたまま、つぶやくような男の声。
ふと、その脇腹から何かが流れ出ているのに、私は気づいた。
銀色の液体。
今まで気づかなかったのは、灰色の床に溶け込んでいたせいだ。だいぶ前から流れていたらしく、床に広がりかけている。
男が顔を動かし、私を見上げた。意外に幼い顔をしていた。
その視線が私の視線をゆっくりとたどり、自身の脇腹に注がれる。
「……ああ、こいつか」
相手は、唇だけでにやりと笑った。
「……こいつは、俺の血さ。あんたらのとは違うらしいな」
訳が分からず言葉を出せないでいる私に、相手は続けた。
「……ちょっとドジ踏んでな、そろそろ駄目らしい。『時間がない』ってのは、そういうことさ」
「ま、待て。話が読めないんだが」
「だろうな……。教えてやろうか? 俺は、あの星から来たのさ」
沈黙。
馬鹿か、こいつは。
ごく自然にそう思った。
が、私に構わず、彼は話しだした。
「今から一億年ぐらい前、あの超新星群のあたりで戦争があった。よその星系の侵攻を受けて、星ごと消されそうになったんだ。誓って言うが、あれは侵略だった……」
かすれた声で、彼はゆっくりと話した。
「俺は、レジスタンスのエースパイロットだったんだ。長い長い作戦の末、ようやく相手の中枢を壊滅させた」
今、大好評公開中の映画が、そんな筋書きだよ。
思わず突っ込もうとして、私はそれを止めた。
あの銀の「血」の説明がつかなくなることに、不意に気づいたせいだった。
「だがその時、敵方が最後の力で、俺を『飛ばした』んだ。……一億年先の時代の、五千万光年の彼方の、この星に」
その言葉が、ようやく私に事態を理解させた。
そうか。そうだったのか。
星の光は、今現在の光ではない。
遠い遠い昔にその星から出た光が、長い時間をかけてやっと我々の元に届く。その原理を用いた距離の単位が「光年」だ。
つまり、五千万光年離れたこの超新星群の光は、五千万年前の光なのだ。
そして、この男が一億年前の時代から来た、ということは……
「……この超新星の光はな、俺にとっちゃ『五千万年先の未来』なのさ」
超新星は星の誕生ではない。それは星の死である。
彼は、自らのいた時代のはるか先、滅びゆく故郷を見ているのだ。
「『飛ば』される寸前、奴らの声がしたんだ。『お前は、親しい者も家族もないまま、遠いところで母星の最期を見るだろう。だがそのとき、お前の星はとうの昔に消えている』って……」
そして、気づいた時は、この裏の山にいたという。
「……この怪我は『飛ば』されたショックのせいさ。身を隠して、近くにいた人間の言葉を自動翻訳機で拾ったら、ちょうど今は超新星騒ぎだってな……もしやと思って耳をすませて聞いてみたら、距離も方角も、当たりだ」
彼は、首のペンダント状の物に手を当ててみせた。首飾りだと思っていたが、それが翻訳機とやらなのだろう。
「……客の少なくなる日暮れを待って、忍び込んだ。あとはあんたの知ってる通りだ」
男は、自嘲気味に笑った。
「……しかし、静かなもんだな、ここは。あの撃ち合いが、嘘みたいだ……」
望遠鏡を弱々しくなで、彼はつぶやいた。
たった一人で、はるか未来の、消えゆく故郷を看取る。
だがそのときはもう、全ては五千万年前に終わってしまっているのだ。
う、う、と、うめくような声。
宇宙人も、泣き方は同じなのだろうか。ひどく場違いな考えが、ふっと浮かんだ。
四
「見えるかい」
彼の体を支えつつ、私は尋ねた。
「……見える……よく、見える……」
明らかに弱った声で、彼は答えた。
「無理はするな」
「……平気さ……どうせ、もうすぐ終わりだ……」
それは私にもよく分かった。ただ、口に出さないだけで。
それでも彼は、レンズを覗くのをやめなかった。さっきから、望遠鏡を掴む手が震えている。
なあ、一度休んだらどうだ。そう言おうとした時。
「……なあ……俺は……あの、星たちを、守った、んだ……」
不意に聞こえた言葉に、私は打たれたように立ちすくんだ。
「……だって、ほら……あの、戦争のあと……五千、万年も、続いた……」
ああ、そうだ。そうだな。そう言うのが精一杯だった。
年甲斐もなく、ぐっと眼の前がぼやけたのだ。
「あんたの手柄だよ。な」
目じりから流れるものに気づかれないように、極力静かな声でそう答えた。
「……きれいだろう、俺の、星……もう、戻れない、けど……」
「いや、そうじゃない」
私はとっさに答えた。
「私のとこでは、人は死んだら星になると言われてるよ。あんたは、今からそこへ帰る」
気休めだ、とは思った。だが、言わずにはおれなかった。
「……そうか……悪く……ない、な……」
彼はかすかに笑った、ような気がした。
そして、私の腕にゆっくりと重さが加わった。
それきりだった。
私は接眼レンズに飛びついた。
視野の先の、はるか遠い遠い光を視た。
永い旅路の果てに彼の還っていった星々は、かすんだ視界の向こうでその形をにじませ、それでも確かに光を放っていた。
(完)