――タバコ臭いのよね、あんたのキス。
ついさっき女にいわれた言葉を思い出しながら、男は店の裏口に腰を下ろした。
場末の酒場の楽屋。ステージの合間にあわただしくキスを交わし、そのまま女はホールへ去った。
去り際に、彼女は彼を軽くつついてそう言ったのだった。
次の休憩は一時間後か。男はコートのポケットからマルボロの箱を取り出し、一本を抜き取った。
闇の中に、一点の赤。
――タバコ臭いのよね、あんたのキス。
とは言え、今さら止められもしないし、止める気もない。
長い沈黙。
不意に、背後のドアが開く。振り返った男は、そこに恋人の姿を見た。
男はマルボロをゆっくりと踏み消し、煙を吐き出す。
「終わったのか」
「ええ」
彼女は男の隣に腰を下ろすと、スカートのポケットから何かを取り出した。
マルボロの箱。
「何だ、いつから吸うようになった」
苦笑して、男は尋ねた。
「一本、いる?」
問いには答えず、女は箱を差し出した。
「……お、悪いな」
男はポケットのライターを探りながら、箱の中から一本を抜き取り、くわえた。
「……ん?」
甘い。
「チョコレートよ」
女が、笑いながら箱を見せる。見ると、ロゴが確かに違う。
「よく出来てるでしょ」
そして「原材料:カカオマス」。
「……ああ、行かなきゃ」
女は立ち上がり、箱を男に手渡した。
「それで禁煙、どう? じゃ、後でね」
女は少し手を振り、ドアの向こうに消えていった。
背後で、ドアの閉まる音。
チョコレートをのみ込むと、男はポケットのマルボロに手をやった。
少し考え直し、ポケットから手を抜くと、チョコレートの箱から一本を取り出し、くわえる。
――ああ、そう言えば。
ふと、思い当たる。
――今日は、二月の十四日か。
ほんの少し苦笑して、頭をかく。
――禁煙、してみるかな。
END