WORKS文字書きさんに100のお題>023:パステルエナメル

 海岸沿いの、暑い道。

「やあ、いい天気だな」
 どうせ通じるわけもないが、彼はその少年に言葉をかけた。
 少年はいつもの通り、にっと笑ってそれに答えた。

 二十年にも渡るこの国の内戦は、国連軍の介入でようやく幕を閉じた。とは言え、長い戦乱の後のこと、国全体が疲弊し、人心は乱れきっている。
 国連軍は当分の間、この国に駐留することを決めた。
 彼もまた、その駐留部隊の一員だった。

 彼はいつものように少年にコインを渡し、ストローのささったヤシの実を受け取る。
 ヤシの実の上部を削ぎ落とし、ストローを差し込んで中の汁を飲むのがここのやり方だった。
 実のところ、始めはあまり美味いとも思えなかった。だが、これは熱帯のこの国伝統の知恵とみえ、正直、今はこれなしではやっていけない。
 そんなわけで、彼は非番のたびごとに、この少年の屋台でヤシの実を買っているのだった。


 他の客が来て、少年にヤシの実を注文する。
 すると少年は、山と積まれたヤシの実から一個を抱えあげ、木の台に乗せる。
 ヤシの実の中身を飲みながら、彼はその少年の手元を見ていた。
 彼とは違う、パステルエナメルの色の肌。この国の人間は皆、そうだ。
 その手がナタを振り上げ、器用にヤシの実を削っていく。
 やがて小さな穴があくと、手はそこにストローをさし、客に手渡す。
 そして代わりに、大事そうにコインを握りしめるのだ。

 パステルエナメルの手。
 わずかばかりのコインのために、鉛筆の代わりにナタとヤシの実を握る手。
 パステルエナメルの手。
 その色の手をした人間たちが、この国で、この大地で、長いこと殺し合ってきた。

(そして今、おれたちは違う色の手で、それを止めようとしている)

 不意に浮かんだ考えを、彼は振り払った。
 彼の属する世界にとって、それはタブーだった。


 と、少年が彼に手を振った。こっちへ来い、と海の方へ手招いている。
 店はどうするんだ、と言おうとして見ると、いつの間にか少年の姉が店番をしていた。
 彼は少年について、海へ向かって歩き出した。

 岸につながれている小舟を、少年は指さした。笑いながら、乗れよ、と合図する。
 どうしようか。一瞬迷ったが、彼は結局、乗り込んだ。
 少年は慣れた手つきで櫂を操り、舟は岸から離れた。


 海の上で少年が舟を止めると、彼は周りを見やった。
 岸からはさほど離れていなかったが、この辺りは深いと聞いている。
 ふと疑いを抱いて少年を見ると、少年は海の中を指さした。
 覗いてみろ、というらしい。

 ……まさか、な。

 それでも用心しながら、彼は船べりに寄った。
 そのまま、ゆっくりと海の中を覗き込み、目を凝らす。


(……………………!)


 ゆらめく水底に、街があった。

 歳経た陰影に沈む、かっちりと組まれた石造りの家々。天蓋のない大回廊の床いちめんを揺れる水紋が彩り、果てを知らず縦横に延びる石畳の街路を今は魚たちが泳ぎ交う。

(……なんだ、これは……)
 恐らくは、古代都市。それがそのまま、深い海の底に沈んでいるのだ。

 彼は身を起こし、少年を見た。
 少年は、得意げににっと笑って見せた。お得意様へのサービスのつもりだったのだろう。
 そのまま何ごとか言い、海底の街を指差す。

 パステルエナメルの指。

 その色に、彼らは、こんな途方もない歴史を隠していたのだ。


 彼はふと、ひりつくような憧れを、その少年に感じた。


END


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