海岸沿いの、暑い道。
「やあ、いい天気だな」
どうせ通じるわけもないが、彼はその少年に言葉をかけた。
少年はいつもの通り、にっと笑ってそれに答えた。
二十年にも渡るこの国の内戦は、国連軍の介入でようやく幕を閉じた。とは言え、長い戦乱の後のこと、国全体が疲弊し、人心は乱れきっている。
国連軍は当分の間、この国に駐留することを決めた。
彼もまた、その駐留部隊の一員だった。
彼はいつものように少年にコインを渡し、ストローのささったヤシの実を受け取る。
ヤシの実の上部を削ぎ落とし、ストローを差し込んで中の汁を飲むのがここのやり方だった。
実のところ、始めはあまり美味いとも思えなかった。だが、これは熱帯のこの国伝統の知恵とみえ、正直、今はこれなしではやっていけない。
そんなわけで、彼は非番のたびごとに、この少年の屋台でヤシの実を買っているのだった。
他の客が来て、少年にヤシの実を注文する。
すると少年は、山と積まれたヤシの実から一個を抱えあげ、木の台に乗せる。
ヤシの実の中身を飲みながら、彼はその少年の手元を見ていた。
彼とは違う、パステルエナメルの色の肌。この国の人間は皆、そうだ。
その手がナタを振り上げ、器用にヤシの実を削っていく。
やがて小さな穴があくと、手はそこにストローをさし、客に手渡す。
そして代わりに、大事そうにコインを握りしめるのだ。
パステルエナメルの手。
わずかばかりのコインのために、鉛筆の代わりにナタとヤシの実を握る手。
パステルエナメルの手。
その色の手をした人間たちが、この国で、この大地で、長いこと殺し合ってきた。
(そして今、おれたちは違う色の手で、それを止めようとしている)
不意に浮かんだ考えを、彼は振り払った。
彼の属する世界にとって、それはタブーだった。
と、少年が彼に手を振った。こっちへ来い、と海の方へ手招いている。
店はどうするんだ、と言おうとして見ると、いつの間にか少年の姉が店番をしていた。
彼は少年について、海へ向かって歩き出した。
岸につながれている小舟を、少年は指さした。笑いながら、乗れよ、と合図する。
どうしようか。一瞬迷ったが、彼は結局、乗り込んだ。
少年は慣れた手つきで櫂を操り、舟は岸から離れた。
海の上で少年が舟を止めると、彼は周りを見やった。
岸からはさほど離れていなかったが、この辺りは深いと聞いている。
ふと疑いを抱いて少年を見ると、少年は海の中を指さした。
覗いてみろ、というらしい。
……まさか、な。
それでも用心しながら、彼は船べりに寄った。
そのまま、ゆっくりと海の中を覗き込み、目を凝らす。
(……………………!)
ゆらめく水底に、街があった。
歳経た陰影に沈む、かっちりと組まれた石造りの家々。天蓋のない大回廊の床いちめんを揺れる水紋が彩り、果てを知らず縦横に延びる石畳の街路を今は魚たちが泳ぎ交う。
(……なんだ、これは……)
恐らくは、古代都市。それがそのまま、深い海の底に沈んでいるのだ。
彼は身を起こし、少年を見た。
少年は、得意げににっと笑って見せた。お得意様へのサービスのつもりだったのだろう。
そのまま何ごとか言い、海底の街を指差す。
パステルエナメルの指。
その色に、彼らは、こんな途方もない歴史を隠していたのだ。
彼はふと、ひりつくような憧れを、その少年に感じた。
END