WORKS文字書きさんに100のお題>030:通勤電車

 ――今年は、大量飛散だってね……
 隣のつり革の会社員がしゃべっているのをぼんやり聞きながら、彼女は赤くなった目をしばたたかせた。

 春は好きだ。

 だって、誰も変に思わないから。
 白いマスク。腫れた目。すすり上げる鼻。
 本当は泣いてるんだなんて、だれも気づかないから。

 マスクの下で思い切り顔をゆがめて、いくらでも悲しみに浸ればいい。
 この仮面(いみじくも、マスク)は、彼女だけの泣き部屋なのだった。

 ドアが開く。人波に流され、彼女もホームに出る。

 雑踏のただ中、いつものように歩きながら、彼女はひとり涙に暮れる。
 黙々とすれ違い、追い越し追い越される他のマスクたちが、実はみな忍び泣きしているなど、気づきもせずに。
 そしてマスクたちも、誰一人互いに気づくことなく、歩いていく。
 

END


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