その屋敷の奥方の死は、表向きは病死となっている。が、夫の浮気性に耐えかねての自殺だということは、屋敷内の者ならみな知っていた。
愛人、義理の妹、秘書にメイド。
妻の自殺、というショッキングな事件にもかかわらず、屋敷内での主人の素行が改善されることはなく、それに伴う四人の女達の鞘当てもまた、陰湿に執拗に続いていた。
死んだ奥方に同情し、主人の行状を憂える空気も無論、ないではなかったが、主人を諌める勇気のある者はというと無論、いなかった。
* * *
メイドは主人の寝室を掃除していた。そこの掃除を任されている、というその事実は、彼女に少なからぬ自負を与えていた。
あたしは確かに卑しい出ですけどね、あんなババアどもに負けてなるもんですか。
彼女はシーツをはがそうとして――ふと手を止めた。
シーツの上に、一本の長く美しい黒髪。ゆるく波打つそれは、間違いなく女のものだった。
かっと頭に血が上った。彼女の髪ではない。彼女のは、お世辞にも美しいとは言えない赤毛だった。
その時、ドアの方で物音がした。彼女はとっさにベッドの下に隠れた。
彼女は掃除していただけなのだから、別にそうする理由はなかったのだ。少々ばつの悪い思いをしたが、その時開いたドアから入ってきた人物を認めた時、彼女は後悔を撤回した。
入ってきたのは、主人の秘書だった。教養を鼻にかける女で、田舎出のメイドに勝ち目はなかった。
秘書はサイドボードの上に置き忘れた書類でも手にとったらしく、紙の擦れる音がした。そしてそのままベッドに腰かけ……不意に立ち上がった。
なによ、この髪。そんな声が、メイドの所にまで聞こえた。
彼女もあの髪を見つけたに違いない。メイドはそう思った。秘書の髪は栗色だったのだ。
その時、不意にドアが開いた。途端、何してんのよ、と刺々しい声。
愛人が入ってきたのだ、と、メイドにはすぐ分かった。
そのままごく自然な流れで愛人と秘書は口論に突入したが、それは普段聞きなれている者にとってもまったく聞き苦しい舌戦だった。
秘書の分際で人のオトコに手ぇ出すんじゃないよ。何よこの淫売、自分こそ妾のくせに。
口論は永遠に続くかとも思われたが、ついに秘書が決定打を放った。
――自分のオトコとかおっしゃいましたけどね、これはあんたの髪には見えないわね。
愛人が息を呑んだのが、気配でわかった。愛人の髪は見事なブロンドだった。
次いで、ベッドサイドに走り寄る愛人の足が見えた。そのまま格闘のような音、悲鳴。
メイドは凍りついた。重い音を立てて、秘書が床に倒れ伏した。その体の下から、赤い色が床に広がる。
そう言えば、サイドボードの果物鉢の側にナイフがあった。ぼんやりとメイドは考えた。
その時、不意にドアが開いた。入ってきた人物の悲鳴が聞こえた。
主人の義理の妹だ、とメイドは思った。
――この髪はあんたの? あんたのなの?
愛人が詰め寄る気配がする。
いや違う、とメイドは思った。主人の義理の妹は黒髪だが、あの髪よりはずっと短いのだ。
しかし逆上したままの愛人は、そのまま彼女に突っかかって行った。
もみ合いになり、またも悲鳴。しかし、倒れたのは愛人の方だった。
――誰よ。誰の髪なのよ。
義理の妹の、低くつぶやく声。
その呪詛は止むことなく、低く低く部屋に渦巻き、流れてくる。
それを聞きながら、メイドはそのつぶやきが自分の心を塗りつぶしていくのを感じた。
ぽとり、とナイフが床に落ちた。
ごく自然に、メイドはベッドの下から飛び出し、ナイフを掴んで義理の妹を刺した。
――誰よ。誰の髪なのよ。
それはそのまま四人の女達の、主人への呪詛だった。
メイドはナイフを握りしめた。主人はそろそろここに帰ってくる頃だろう。
だが彼女は気づかない。彼女の後ろ、満足げに微笑む、死んだ奥方の姿に。
その豊かに波打つ、長い黒髪に。
その時、不意にドアが開いた。
END