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WORKS文字書きさんに100のお題>040:小指の爪

 彼女は、いつも一人だった。少なくとも、私の記憶の中ではそうだった。

 彼女は、私よりひとつ年上だった。
 私の高校は、制服の着用は必須だったが、校則自体はゆるかった。そのおかげで、私たちはさまざまに髪を染めたり化粧をしたり、思い思いに装っていた。
 そんな中のわずかな例外の一人が、彼女だった。
 彼女は髪も染めず、口紅なども塗ることがなく、ピアスの穴もあけていなかった。
 そして、誰とつるむこともなかった。
 彼女の物静かな性格もあったろうが、黒い髪のままで化粧っ気などまるでなく、だがどこか凛として美しいその姿に、「今の若い者」である私たちがある種一目置いていたのは事実だった。

 そんな彼女だったが、ただひとつだけ彩りといえば、両手の爪すべてに真っ赤なマニキュアをしていることだった。
 私が知る限り、そうでない日は一日もなく、その赤い色は、飾り気のない彼女のいでたちに不思議な強さを与えていた。

 そして、彼女にまつわるある噂。
 ――あの人さぁ、地理の○○先生とヤッちゃったらしいよ。だからあの先生、去年トバされたんだって。
 それが本当かどうか、私は知らない。いや、大半の生徒がそうだったろう。その出所はいつも「部活の××先輩」であり、「隣のクラスの■■ちゃん」なのだった。
 しかしその噂はまことしやかに生徒の間に伝わっており、ほかの生徒たちをいっそう近寄りがたくさせていた。
 ――そして、彼女がしているマニキュアは、その先生からのプレゼントだ。
 無論、それの真偽も定かではなかったが、私たちは心のどこかで、何かの伝説のようにそれを信じていた。

 私は、何度か彼女と話したことがある。
 とくべつ何を話したというのではない。ひるどきの混んだ学食で、たまたま近くで席を探していた彼女に、たまたま空いていた隣の席を教えてあげたのが最初で、それからは廊下でたまにすれ違うたびに挨拶し、暇があれば二言、三言会話らしきものをする。ただそれだけだった。
 ただ一度、彼女が行ってしまった後、一緒にいた友人が、あの人ねえ、とあの噂話をした。
 私はなぜかそれがいやで、やめてよ、と小さな声で言った。

 彼女は、卒業を待たずに越していった。
 ――私、転校するんだ。
 最後に会った日、いつもどおりの静かな声で彼女は言った。
 そうなんですか、残念ですね。そう答えた気がする。
 ――だから、これ、あげるわ。あなたが持っていて。
 そう言って、彼女は私に何かを手渡した。
 手にすっぽり収まるほどの小瓶。中にはほんの少し、赤い液体が入っている。
 ……「○○先生」のマニキュア!
 ちりり、と心をよぎったのはそんな言葉と、同時になぜか、微かな痛み。
 そのあと、私が何を言ったのか、それとも何も言わなかったのかは記憶にない。ただ、窓から差し込む夕日の中、遠ざかる彼女のシルエットははっきり覚えている。

 今でも時々、あのマニキュアを眺めて、彼女のことを考える。
 彼女の越していった先は知らない。ただ、背筋をすっと伸ばしたあの姿を思い出す。
 そして、何かの秘密のように息を殺して、右足の小指の爪の先に、その赤い色を塗ってみる。


END


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