変わり者の部下がここ二週間やたら洒落た文房具ばかり買ってくると思っていたら、どうやら個人ロッカーの中に森を作っている様子である。
昨今のデザイン系文具の興隆はめざましく、木の形のペンやら風景を印刷した大判付箋やら、私のような四十男でも瞬間心惹かれる物が確かに増えている。若い彼がハマるのもまあ判らないではないし、会社で個人的に使う分には問題ない。
が、それらでロッカーの上段を埋め尽くすのはどうなのか。書類用ロッカーなので容積など多寡が知れており、ただでさえ余裕はないはずなのだ。
* * *
ある残業時、気になってそれとなく聞いてみると、彼は不自然に言葉を濁した。前述の通り彼を責める意図はないが、あいまいな言い回しがどうも引っかかった。
――なに、君がいいなら別に問題ないんだ。ただ、それでロッカーが使えなくなったら本末転倒だろう?
私の一言に言葉を返せなかったらしく、彼は不承不承ロッカーの戸を開いた。
――いや、こさえたもんだな。
思わず声が漏れた。呆れ半分だったが、残りは正直感嘆である。ペンの木々、マウスパッドの芝、文鎮の岩に文房具の動物たち。集めに集めたらしき文具類は残らず自然物を模しており、それらがロッカー上段に見事な大森林を拡げている。
――まるでジオラマじゃないか。なにか飼ってるんじゃないだろうね。
感心ついでの冗談のつもりだった。
が、彼の顔色が明らかに変わった。
――やっぱ、だめですよね。
さらに落ちたトーンの声でつぶやき、彼は森の中に置かれたサーモマグ(ご丁寧に、これもジャングル柄に彩られている)を手に取った。ほんの僅かためらった後、彼はゆっくりと蓋を外した。
その中から影がすべり出た。
それは煙のように膨れ上がり、巨大な――見間違いでなければ――竜の姿をとったと思うや、たちまち宙に溶けてしまった。
瞬間、匂いがした。むせ返る熱気、湿気含みの濃厚な植物の匂い、それがどっと鼻孔を貫いて掻き消える刹那、ロッカーの中に森が、本物の密林が鬱蒼と茂っていた。
* * *
当然ながら、その夜のことは誰にも話していない。
実際、話すべきことなどないのだ。ロッカーの扉が閉まる音で我に返ると、そこはいつも通り人気のない深夜の事務所であり、珍事を伺わせる何物も残ってはいなかった。
後輩はそそくさと帰宅し、しばらくして辞めた。家業を継ぐという話だったが、私はこれが原因ではないかと思っている(あるいは家業とやらもこの件絡みかもしれないが、強いて連絡を取る気はない)。
件のロッカーは彼の退社時に空っぽにされた。取り損ねたらしい木の形の付箋が一枚、天井部分に貼りついていた以外は、何の変哲もない四角い空間があるきりである。
だがあの夜、そこは確かに森だった。森だったのだ。
END