夜中に便所へ行きたくなって、子供は目を覚ました。
隣の母親を揺り起こそうとしたが、その寝床は空だった。
そのまま眠ってしまおうと目を閉じたが我慢ができず、子供は仕方なく寝床を這い出した。
便所は廊下を通り、庭を抜けた離れにある。長い廊下を恐る恐る渡り、そろりと庭へ出た。
と、どこからか獣のうなり声が聞こえた気がし、子供は震え上がった。
聞き違いではないかと祈ったが、声は確かに聞こえてくる。
――それも、庭の途中の納屋から。
近づいてはいけない、見てはいけない。それは分かっていた。
だが、その場に立ちすくみ続ける恐怖に耐えかねて、子供はそっと中をのぞいた。
真裸の母親と、それを背後から組み敷いている影。
それが間断なくうめき声をあげながらもつれ合っているのだった。
影が後ろから母親の首筋に喰らいつくのを、子供ははっきりと見た。
生暖かいものが足を伝っていく。
不意に影が顔をあげ、子供を見た。
母親の肩越しに、大きく釣りあがった目。かっと開いた口。
――鬼だ。
そう思った、その先の記憶はない。
* * *
翌朝目覚めると、子供は自分の布団の中にいた。
――夢。
ほうっと息を吐く。
着替えをして居間に行くと、母親はいつも通り朝飯の支度をしていた。
――夢だな。
それきり、子供はそのことを忘れていた。
* * *
子供の父親が死んだのは、それからさほど経たない、ある雨の夜だった。
酔っ払って河に落ちた、と警官は言ったが、父がそういう酔い方をしたのを子供は見たことがなかった。
* * *
葬式が終わり、半年ほど経ったある日、母親が「新しい父親」を連れてきた。
豪快で開けっぴろげな男だったが、優しそうだった。
君が僕の子供になるわけだね、そう言って男はわははと笑った。
その、笑顔。
――あの「鬼」だ!
さあっと血が引いていく。
いや、あれは夢じゃないのか。夢のはずだ。
夢のはずだ。
あら、どうしたの。新しいお父さんだなんて言われて緊張したの?
母親が笑いながら、子供に言う。
その肩越しに、血のような夕陽。母親が浮かべているはずの笑顔は、くろぐろとした陰に塗りつぶされている。
END