檀家になっている寺に珍しく呼ばれて新吉が行ってみると、出迎えた住職が渋い顔で一体の人形を持ち出してきた。
さる大店の一人娘の形見だという、愛らしい市松人形だ。が、妙に髪が長い。
「伸びるんじゃよね、いつの間にか」
娘の初七日が済んだ頃、内儀が気づいたという。襟足が見える長さに切りそろえられていたはずの人形の髪が、いつの間にやら肩の辺りにまで達していたとか。
「おまけに、動くんじゃよね、夜中」
棚に置いたはずが、朝になるとなぜか畳の上にいる。いくら直してもそうなる。
女衆や小僧は怖がるし、内儀は不憫だと泣き通しだし、思い余って供養に持ち込んだそうだ。
「ワシも責任あるしさ、頑張ったんじゃよね、一通り」
住職の法要も甲斐なく、人形は今でも夜な夜な動いているのだそうだ。
「髪だってほら、膝丈ぐらいになっちゃってるし」
「どうしろってんですかい住職。まさか一緒に見張れってんじゃないでしょうね」
「だってどうせお前、暇じゃろ? ほれ、ナントカのナントカって昔から言うし……」
もじもじしている割に住職の言葉は図々しく、新吉はよほど帰ろうかと思った。が、日ごろ世話になっている手前もあるし、実際図星でもあった。女房のおかつは腕のいい女髪結で、彼が商いに奔走する必要はさほどないのだ。
結局押し切られる形で本堂外に身を潜め、迎えた丑三つ時。
障子の隙からそっと覗けば、台に安置したはずの人形がごとごと動いている。
悲鳴こそ呑み込んだが、済ませた小便がぶり返し、新吉は思わず身震いした。
「じゅ、住職」
「しっ」
人形はゆっくりと台の上を歩き、故人ゆかりの品々を動かし始めた。
「探しもんでしょうかね」
「お、なんか落としたわい」
床にばさりと落ちたのはどうやら本らしい。
人形は、そのまま隣の菓子鉢によじ登った。
「あ、栗まんじゅう取りましたよあいつ」
「そんな……せっかく後で食べようと」
新吉が呆れて溜息をつきかけた時、すとんと軽い音が響いた。人形が床に降りたのだ。
「ん。読み始めましたねえ。何の本ですかあれ」
「うーむ。ワシに縁のない中身じゃと思うたかして、気にもせなんだ。にしても目に悪そうじゃのう、灯りもないのに」
「あっ、腹ばいで読みながらまんじゅう食ってますよ。あーあ、背中掻いてる。仮にも女の子が」
「あの栗まんじゅうは日本橋の老舗の……うう、ワシも腹が減ってきたぞい」
言い終わらぬうちに住職の腹の虫が高らかに鳴き渡った。二人が思わず身をすくめた目の前で人形がはっと顔をあげ――
気づいた時には、ただの人形に戻ってしまっていた。
抜き足差し足で布団に戻った二人が明烏の声で目を覚まし、また抜き足差し足で本堂に入ってみると、人形は相変わらず床に転がっていた。
食いさしの栗まんじゅうに未練がましい目を向ける住職の横で、新吉は開きっぱなしの本を覗き込んだ。
「ちょっと、ちょっと住職。この本」
「うん? ……当世髪型名鑑じゃの」
「ええ。ウチのおかつもよく睨めっこしてまさあ」
「そう言えば、ゆんべも読みながら何やら髪をいじくっとったようじゃの」
何やらしんみりして、二人は人形を見下ろした。
「ときに住職。こいつの供養、ひとつ任せちゃくれませんかね」
「そうじゃの。髪のない坊主のとこよりマシじゃろ」
安心といじけが半々の顔で、住職が頷いてみせた。
* * *
くだんの人形が新吉とおかつに引き取られて以来、商売は今まで以上に賑わうようになった。
何せ自分で髪型を決める人形だ。人形の足元に最新名鑑を置いておくと、夜のうちに付箋が挟まれている。朝になって新吉がその箇所の髪型を結ってやり、それを持っておかつが得意先を回る寸法である。
噂は噂を呼び、人形の選んだ髪型は不思議と流行った。
やがてそれにあやかってか、自分の人形を新吉のところへ持ち込む客まで出始めた。
新吉はもういつかのように暇ではなく、今では住職の方が折々訪ねてくる。手土産の栗まんじゅうは勿論人形にも供えるが、その翌朝は決まって名鑑にカスが挟まっているので、寝転び癖は相変わらずらしい。
END