WORKS猫と何かと男と女>ボクの猫

 ペットを連れて店に入ってはいけないんだといくら言い聞かせても猫が一向耳を傾けない。常日頃、自分こそがこの家の主人であると公言してはばからない奴である。

 認める。失敗した。
 なにせ朝目覚めた瞬間から、今夜はスープからとった鳥団子鍋を食うと言い張ってうるさかったのだ。そんな奴を連れて肉屋の前など通ったら最後、大騒ぎは火を見るよりも明らかだった。肉本体や鶏がらは言うに及ばず材料一式買わされ、夕方以降を薄暗い台所で潰す羽目になるのだ。
 売り切れとでも言い逃れして、スーパーの鍋セットでお茶を濁すつもりだった。
 が、クリーニング割引の期限が今日なのを思い出したことで運命が狂った。クリーニング屋は肉屋を過ぎ、踏切を渡ったすぐ先だ。行きはわざわざ一つ奥の踏切を使ってやり過ごした。
 そして、重たい衣服を預けたとたんに気が緩んだ。何の迷いもためらいもなくいつもの道を通り、肉屋の前に差し掛かった瞬間、パーカーのカンガルーポケットから猫が叫んだのだ。

「しもべ! ほら、鶏! 鶏! 忘れたの?」

 一ブロック全域に響き渡る子供のキンキン声に、寒さで弱った僕の生命力はほぼ全て吹き飛ばされた。最後の力でポケットの中身を押さえようとしたが敵わず、テキは憎たらしい身軽さで僕のパーカーを肩まで駆け上った。

「朝からあれだけ言ったでしょ! お店入るよ!」

 腹から耳元まで詰め寄ってこられた以上、無視して逃れるすべはない。そのまま帰ったら残り半日騒がれ、翌日たっぷり一日ぐずられるのだ。家出する家出するとさんざ脅され、心中ひそかに喜んだがいまだ家出してくれたためしはない。要は、うるさい。
 残る手段は説得だが、経過は冒頭のとおりである。
 ちなみに、周囲の視線などとうに諦めがついた。こちとら泣く子と地頭が同時に相手なのだ。

 * * *

 金と労力をはたいた甲斐があって、鶏団子鍋は会心の出来だった。いや訂正しよう、半分は彼女のお陰である。

 何しろ生ものを扱う店だ。いくらパーカーのポケットに頭まで収まる子猫だからといって、動物連れで入るわけには断固、いかない。
 そうかといって、こいつときたら一匹でお留守番するのが何より気に食わない奴なのだ(だからちょっとした外出にもこうやって張り付いてくる)。
 それでやむなく、近くに住む彼女に救援信号を送った。鍋を条件に駆けつけた彼女が買い物を済ませてくれる三十分ばかりの間、こちらは肉屋の店先で駄々をこね続ける猫のお守りに専念できたわけである。
 野菜などは家の冷蔵庫のものを使い(彼女がカンパしてくれた豆腐・しいたけも含む)、二人でさんざ肉と格闘した結果、人間様用と猫用、二種類の鍋がどうにか仕上がった次第である。

 手のひらサイズの分際で自分専用の鍋(塩味・ネギなし、温度調整済み)を悠然と喰らう猫で、出汁をとってみたい衝動にふと駆られた。主人を自称するとおり、こいつ、ちっとも手伝ってねえ。猫の手が借りられるなど本気で期待はしていないが、ふりぐらいはしろよ、ふりでいいから。
 でもまあ鍋は文句なくうまいので、それに免じて勘弁してやると……

「しもべ、やればできるじゃない! ほめてとらす!」
「うるさいよ」

 両肩からがっくり力が抜ける。いや、よく考えたら文句言わないだけましか、こいつの場合。
 なんだ、すっかり調教済みじゃないか僕。
 ありがとうございました。

 が。

「明日はすき焼きだよ!」

 続いた一言に、僕は返事をしなかった。鳥鍋でもそのダメージを補うのはちょっと、無理。


END


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