うだる日差しからようやく家に転がり込み、手洗いうがいもそこそこに冷蔵庫をがばりと開けた。
昨日買ってきてあった無調整豆乳と傷物半額の桃を引っ張り出し、同じく突っ込んでおいたミキサーのガラス容器部分も出す。アイスもジュースも振り切って炎天下を帰ってきたのはほとんどこれのためで、紙袋の中の桃どもを吟味する目に野獣の光が宿っていたとしても責められるいわれはない。
と、桃の上部、へたの窪みの中に目が止まった。よく見ると黒いアリが一匹、じっと身を潜めていたのだ。
果物屋の近辺には公園もないから、そこで入ったわけではあるまい。もしや、収穫されてからずっとこの状態なのだろうか。とまれ、この桃があたしに買われてうちの冷蔵庫に入ってからたった今までのまるまる二十四時間、こいつは日も差さない約3度Cの世界に放り込まれていたわけだ。
虫といえども、真夏、真冬、真夏の激変は楽ではなかろう。そう思うと何やら情も沸く。
あんた、買ったのがあたしでよかったね。他の人ならペチャンコにされてたよ。心中で声をかけながら、そいつを指に乗せてアパートの窓から出してやった。
おあずけの後の桃シェイクは抜群に旨く、調子に乗ってもう一杯作り足してラッパ飲みしたら、一撃でお腹に来た。暑さでトんだ判断を恨みながらタオルケットを抱えて横になり、やり過ごすことにした。
そのままうとうとして、夢を見た。
小さい頃作った発泡スチロールの箱庭。手入れが行き届かず雑草だらけのそこに、あたしはさっきのアリを降ろしてやっていた。
奥から声が聞こえた気がして草をかき分けると、指先どころか毛先ほどの大きさの青虫が三匹、すすり泣いている。訳を聞いたアリが教えてくれたところによると、桃が食べたいというのだ。
残っていた桃を少しばかり切り取って入れてやると、虫たちは大喜びで頭を突っ込んだ。匂いにつられたのか、ハサミムシやら蛾の幼虫たちやらまで雑草の中から現れて、桃に群がっていく。足りるかどうか心配になり、あたしはとうとう桃を丸ごと一個やってしまうことにした。
みな、見覚えがある虫たちだった。青虫はアリと同じく野菜についていた。青菜を洗って排水口を見ると、金属カバーの上で三匹しておろおろ頭をもたげていたのだ。ハサミムシは風呂場のガラス製電灯カバーに入り込んで照り焼きになりかけていた。蛾の幼虫たちは、なぜか内廊下のはずのアパートの、あたしの部屋のドアに産み付けられていた。
全部、あたしが外へ出してやったのだった。
シオンさんは桃は要らないの。青虫に訊かれた。あたしの分は冷蔵庫にあると答えると、じゃあ何がほしいのともう一度訊かれた。
あたしはねえ。あたしは、ジン君が助かってほしいな。
病床で手術を待つ幼馴染みの顔が浮かび、そう答えた。
そこで目が覚めた。覚めて、涙が出た。
虫たちを助けてやったのはもちろん、気まぐれだ。ゴキブリや蚊はもちろん叩くし、別に助けなかった虫だっているし、知らない所で殺している虫だって随分いるはずなのだ。
この話をジン君にするのは止そうと思った。デリケートに過ぎるだけではない。
あたしは今のところ毎日見舞いに行って、いろいろな話を聞かせている。その話を集める場所は、深夜の街だ。
人気のない場所を巡り、ちょっとしたものを集めては覚えておく。毎晩毎晩、道を変えては集めての繰り返しだ。
それを百晩続ければジン君は助かる。ジン君と離れなくて済む。
根拠などあるわけもない。が、自分の足でそうしなければ届かない気がしていた。もらった夢では仕方ないのだ。
でも、あいつらが聞いてくれたなら、甲斐はあったのかな。
助けたあたしと、夢に出た虫たちと、神様はどっちだろう。そう思った。
END