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WORKS猫と何かと男と女>彼と彼女と猫の夜

 ペットの子猫がご所望のまぐろ血合いをがっついている横で、僕はお粥をすすっていた。
 二日連続である。別にペット破産した訳ではない(いや、実際こいつは金食い虫だが)。暑さ負けしたのかこのところ妙にだるかったのが、週末になってがっくり悪化した。彼女にもSOSを送り、明日の朝来てもらうことになっている。

「しもべ」
「…………」
「しもべッ」
「……何」

 きんきん声で我に返ると、お粥に顔を突っ込みかけていた。

「駄目でしょ、一回でお返事しないと」

 腹も立たない。猫に呼ばれて気付かないなど僕にしては珍しいのだ。見ると、猫の皿はとっくに空になっている。

「お代わり。半分くらい。あと、お水ちょうだい」
「……はいはい」

 皿を両手に立ち上がったが、足がふらついた。食事中なのに、口の中も妙に乾いて粘っこい。
 台所ではて何をするんだっけと考え込むこと三十秒、ようやく冷蔵庫から引っ張り出してみれば猫用の血合いでなく人間用の部位である。その後も細かいミスを限りなく繰り返し、ようやく温めた皿を持って戻ると、待ちくたびれた猫が不機嫌そうに尻尾を畳に打ち付けていた。

「お水は」
「……へ?」
「だから、お水」

 とどめにこれだ。
 水汲みついでの歯磨きで這うように洗面所を一往復したところで力尽き、隣室の万年床にもぐりこんだ。

「あれ、もう寝ちゃうの」
「……もう駄目。食べ終わったら寝なさい、電気消すから」

 体は泥のようなのに眠気が来ない。ずっしり重い胃袋を抱え込んでうめいていると、首元に何か柔らかい物が這いこんできた。

「……籠で寝なさい。潰しちゃうから」
「でも、しもべ、ボクがいないと寂しいじゃない」

 なんだ。思わず気が抜けた。そんなこと言って、要は自分が寂しいんじゃないか。まあこいつにしては殊勝なものか。

「しもべ、明日遊ぶでしょ。ネズミのボールで」
 今日買ってきた猫用のオモチャだ。遊ぼう遊ぼうずっとうるさかったのだが時間がとれず、週末の約束をしていたんだった。

「……そうだね、明日な。彼女も来るし、みんなで遊べばいいか」
「そうだよ。具合悪くしてる場合じゃないよ」

 場合じゃないか。そりゃそうだ。
 首元の温かい塊を指先でなでてやると、そいつは魚臭いあくびを一つして寝息を立て始めた。釣り込まれるように僕も延ばした電気の紐を引き、そのまま目を閉じた。

 しもべ、しもべ。猫の声で目覚めたのは夜半だ。胸が重たい。息がほとんど吸えず、浅い呼吸を何度も繰り返している。頭の中にも泥が詰まっているようで、でもものすごくヤバい事だけは本能で分かる。棒のように動こうとしない手で携帯を探った。1、1、9。ほとんど朦朧としながら用件を言った気がするが、ところどころ猫の声が混じっている。電話が切れたところは覚えていない。
 次に呼ばれて目を覚ますと、白いヘルメットをかぶった人たちに囲まれていた。心配そうに覗き込む見覚えある顔は大家だ。どうやら救急車で運ばれるところらしい。参ったな、こんな大事になるなら部屋の片づけをしておくんだった。さすがにエロコミックはしまってあるはずだけど。
 やめてよ、しもべを勝手に連れてかないでよ。しもべはボクと遊ぶんだからね、ボクが先に約束してるんだから……
 足元をうろうろしているらしい猫のきんきん声。そうだ、こいつの面倒は誰が見るんだ。
 だが、僕の意識はそのあたりで限界だった。

 * * *

 幼馴染みのジン君からのヘルプコールであたしは朝一番にアパートへ駆けつけたが、部屋からは物音一つしない。嫌な予感がして合鍵で入ると、部屋の中はもぬけの殻だった。
 病院にでも行ったのかと思ったが、ペットの猫もいないのはおかしい。他の場所にいけるような容態でもなさそうだったし。
 念のため向かった大家さんの部屋で思いもかけずあたしを出迎えたのは、ジン君の飼っていた猫だった。続いて出てきた大家さんが昨夜のいきさつを聞かせてくれ、心臓が止まるほど驚いた。まさか、救急車騒ぎになるほど悪かったなんて。
 しかし、事はそれで終わりではなかった。
 ジン君の猫を、あたしは当面預かることにした。ちょっと癖の強い子で、事情を知っている人間が引き取ったほうが間違いなくいいからだ。
 で、当面必要そうな猫の道具類を持ってあたしのアパートに向かう途中、肩の上から声がしたのだ。

「しもべ、行っちゃった。遊ぶって言ってたのに」

 危うく持っていたベッド籠を取り落とすところだった。
 しゃべった。

「……しゃべった」
「どうしたの。そんなに驚くこと?」
 間違いなく、肩の上の猫だ。
「……あんた、しゃべれるんだ」
「うん。知らなかった?」

 今までジン君がやたらこの子に振り回されていた理由を、あたしは悟った。同時に、ゴルゴンゾーラだの鳥鍋だの、猫には不向きすぎる食材をこの子につぎ込んでいた理由も。
 しもべか。多分ジン君のことだ。言い得て妙だ。

「それより、しもべ、どこ行っちゃったの。ボクと約束したんだよ。ネズミボールで遊ぶって。なのに」
「…………」

 そうだ、ジン君。
 病院は教えてもらったけど、今お見舞いに行って会えるだろうか。何より、この子をつれては行けまい。
 かわいそうになった。あれだけ可愛がって、好き放題やらせてもらっていたのに、その全世界が吹っ飛んでしまったのと同じだ。

「後で遊んだげるわよ。ほら、ネズミボール持ってきたから」

 籠の上、未開封のネズミボールを見せてやったが、猫はそれきり黙ってしまった。

「ジン君にカード書いてあげるわ。あんたも足跡くらい捺したらいいわよ」
 メールでは当分届くまいが、カードならナースセンターに置いてもらうことはできるだろう。
 猫の毛のせいか、鼻の奥がつーんとした。何でもいい、今のあたし達には何かが必要だ。それだけは分かる。


END


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