「海の底の真珠でも拾ってくからさ、父さん母さん、祈っててよね」
――食らった!
思った瞬間、彼は放り出され、海面に叩き付けられていた。その四方から押し寄せ、呑み込む水。恐慌状態でもがく手足に、うねる水圧は圧倒的だった。
がほ、と唐突に頭が水の上に出た。一瞬聞こえる怒涛、風声、そして切れ切れに人間の悲鳴。
近くの木切れに夢中でしがみつこうとした。だがわずかに手に触れたそれは、あっという間に遠くへ押し流される。あ、と思った瞬間、思い切り水を飲んだ。むせ返ろうとして呼吸が途切れ、再び頭が沈んだ。
ぎいん、と頭痛。苦しい。母さん。故郷の風景。遠い。例えようもなく遠い。
――なんだ、これは。
意味が分からない。なんでこんなに水が多いのか。なんで俺はこんなところで溺れてるのか。何の力か知らないが、なんでこんなにあっけなく、有無を言わさず俺を連れ去ろうとしているのか。
景色が見える。
故郷。両親。故郷を出る。野宿。船に乗る。海。底なしのその水。
そして嵐、横殴りの波。
ほら、任期なんて三年だぜ。心配ならお祈りしててくれよ、土産に向こうの真珠でも拾ってくるからさ。
不安を押し隠して、最後に両親に言った言葉。永の別れとは知っていたけど。
なんでそれが、こんなに早く?
――父さん、母さん。
冷たい。
もう動けない体。
遠くなる意識。
――せめて海の底で、真珠でも探すか。
それを持って、両親の夢枕に立てるだろうか。
暗転。
父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに
巻二十・4340 川原虫麿