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WORKSイベント即興小説>嘘つき閻魔

 正直、親父は好きでもなかった。
 記憶にあるのはくたびれきって萎れた姿。幼い頃から今まで、その印象はほぼ変わらない。
 仕事帰りは大概深夜で、小さい頃など平日に顔を合わせることはまずなかった。たまに早く帰ってきた日に成績を聞かれたりしたが、どうもピントの合わない会話が二言三言続くきりだった。
 家族で遊びに行った思い出もあるにはあるが、俺や弟たちとはしゃいでいたのはお袋の方で、肝心の親父の印象はやはり薄い。
 友人たちの話を聞いていると、父親と一緒にゲームをやるとか、自転車のパンク修理のやり方を教わったとか、泊まりがけで山に登ったとか、そんなエピソードが折々出てくる。そうした父親たちの姿は羨ましいというより、本やテレビの世界のように非現実的だった。

 ***

 一度だけ怒鳴られたことがある。高校二年の夏休みだ。
 中学時代から付き合っていたグループで、中の一人が煙草を覚え、それがずるずると広まった。みな特段スレてもいず、問題を抱えていた訳でもない。あの年頃によくある、恐い物見たさの好奇心だった。
 その空気に負けたある日、俺もついに友人の家で一本もらった。一口で胸がぼわっとなり、洗面所で幾度も痰を吐いて笑われた。旨くも何ともなかったが、吸ったことには違いない。一山越えたような満足感があったし、他の仲間に追いつけた安堵も確かに覚えた。
 が、お粗末にもヤニの臭いをぷんぷんさせて帰宅し、珍しく早終いだった親父に一瞬でばれた。ちょっとそこへ座れと言われ、これまた何年か振りの説教が始まった。
 口達者なお袋と違い空気のような親父相手と踏んで、吸ってないの一点張りで押し通すつもりだったが敵は意外に手強かった。前述の臭いの事を突っ込まれてたちまち形勢不利に陥った俺に、あの要領を得ない口調で親父は煙草の害をぼそぼそ説いた。奇襲からの正論に反撃もままならず、俺の苛々が頂点に達したとき、親父がついに決定的な質問をぽろりとこぼした。
 ――いつもの連中から教わったのか。
 その一言に俺は切れた。
 何だよ「連中」って。あいつらの事何も分かってないくせに。だいたい俺の事だって、あいつらの方が親父なんかよりよっぽど知ってるよ。
 後で思えば窮鼠の逆ギレだが、そのときの俺にはそれこそが正義だった。たまった鬱憤全部を投げつけた勢いそのまま、椅子を蹴って立ち上がろうとしたときだ。
「そういう問題じゃないッ」
 突如降ってきた大音声が、俺を椅子に叩き戻した。
 予想だにしなかった猛反撃。完全に呑まれた俺の前で親父もそれきり絶句し、だが顔は真正面から息子を睨んでいた。
 無言の見合い。
 ――とにかく、駄目な物は駄目だ。誰でも駄目なんだ。
 やっとそれだけ言い、親父はのろのろと居間のドアから消えていった。残された俺はしばらく、抜け殻同然で座り込んでいたと思う。

 ***

 その後、他の友人たちもそれぞれ御用となり、俺たちの盗み煙草ブームは煙と消えた。みな何事もなかったように大学へ進み、俺は首都圏にあるマンモス校の歴史学科を選んだ。
 一人暮らしもようやく板についてきた秋口、教授が校外実習先に指定したのは鎌倉だった。日曜の半日かけて主要な寺院を見学する、この講義の恒例行事だ。
 北鎌倉駅から出発して(「いざ鎌倉」という教授のせりふも毎年恒例らしい)、遠足気分でいくつかのお寺を巡り、建長寺の境内で弁当を食べた後に訪れたのが向かいの円応寺だった。
 閻魔堂として名高い寺だそうだ。だが、狭い石段を二十段ばかり上って小振りな門をくぐり、ちょっと行った先に料金所、そして本堂。そればかりで、総勢二十五人の一行では若干窮屈に思えたほどだ。建長寺派の総本山とあって大きさも賑わいも桁違いの建長寺と比べようもなく、円応寺は地味だった。
 それでも、本堂に足を踏み入れて真正面にそびえる閻魔像は圧巻だった。口をかっと大きく開き、大きな両目で参拝者を睨みつける様はさすが地獄の王で、居合わせた何人かが息を呑むのが分かった。
 鎌倉時代の仏師運慶が地獄に行く夢を見た時、夢の中で会った姿を元に彫ったという伝承があり、等々。傍らの教授の話を聞き流しながら、俺は閻魔像の手前の解説文に目を落とした。
 ワープロで打ったらしい三枚の解説文。最初の一枚は閻魔大王の簡単な説明が載せられている。

『……「閻魔大王」は冥界の最高の王、総指令官です。それまでの「四王」の取り調べを記録した「閻魔帳」の他「倶生神」「人頭杖」「浄頗梨の鏡」によって亡者の生前の「行い」を取り調べ……』

 教授の話と大差ない中身だ。気にも留まらず、何となく二枚目に目を移す。
 とたん、あらゆる音が消えた。

『閻魔大王の罪
「閻魔大王」は亡者の生前の「行い」を取り調べます。「罪」ある者は地獄に落とし「苦しみ」を与えます。亡者に苦しみを与える事は「閻魔大王」の罪となります。
 閻魔大王はその罪故、日に三度、大王の前に大銅钁(だいどうかく)が忽然と現れます。すると、それまで従っていた獄卒や亡者達が大王を捕らえ、熱く焼けた鉄板の上に伏せさせます。獄卒や亡者達は鉄の鉤(かぎ)で大王の口をこじ開けドロドロに溶けた銅を口中に注ぎます。大王の舌や唇は元より、喉から腸に至るまでただれきってしまいます。その苦しみは亡者が地獄で受けるどの様な苦しみよりも苦しいと言われています。』

 何だって?
 エンマさまの話なら知っている。悪い事をした人間を地獄に落とす、誰より恐い裁判官だ。嘘をついたら舌を引っこ抜かれるだの何だの、親から脅されずに育った奴はきっといない。
 なのに誰より重い罰を受けてるのが、その閻魔大王?
 どうしてか頭がくらくらした。三枚目の解説文に目を飛ばす。

『閻魔大王の願い
閻魔大王が全ての亡者を「天上界」に送り、亡者に苦しみを与える事がなければ、大王自身も日に三度の苦しみを得る事はありません。その事は大王自身もよく分かっています。しかし亡者が行った生前の「悪事」を知ってしまうと、どうしても許す事が出来ないのです。その為多くの亡者を地獄に落とし苦しみを与えてしまいます。是は閻魔大王の業(ごう)であり逃れる事はできません。
 「閻魔大王の願い」は全ての人々が現世に於いて「悪事」を成さず「良い行い」だけを行う事です。全ての人々が「悪事」を行わなければ、閻魔大王も亡者を地獄に落とさずにすみます。「閻魔大王」も日に三度の苦しみを味わう事はありません。是が閻魔大王の願いです。』

 視線が跳ね上がった。こちらを睨み下ろす巨大な顔。目と目がかち合い、俺は確かに聴いた。こらあっと腹の底からどやしつけるその大声。
 罪人を裁く顔ではない。俺は知っている。叱る顔なのだ。いくら言っても聞こうとしない、しょうもない子供たちを。
 いきがって煙草なんかに手を出したガキを。
 ……亡者が行った生前の「悪事」を知ってしまうと、どうしても許す事が出来ないのです……
 あの夜までの親父は俺にとって、いるのかいないのか分からないような人間だった。親父だってきっと分からずにいたのだろう。ろくに構ってやれない息子とどう付き合ったらいいのか。
 なのに、人生でたった一度俺を怒鳴ったあの時、親父はその垣根を死に物狂いで飛び越えたのだ。好かれようとか、うまくやろうとか、そんな体裁を全部放り捨てて。
 ――そういう問題じゃない。駄目な物は誰でも駄目なんだ。
 エンマさまの話なら知っている。誰より恐い裁判官だ。
 だから面白いんじゃないか、じごくのそうべえとか、えんまのはいしゃとか、無敵の閻魔大王がしてやられる物語は。
 聞いたことがない。少なくとも今まで読んだどんな本の中にも、そんな話は出ていなかった。
 叱る奴が誰より痛いなんて。
 それでも叱るなんて。
 ……獄卒や亡者達は鉄の鉤(かぎ)で大王の口をこじ開けドロドロに溶けた銅を口中に注ぎます……
 あんたこそ世界一の大嘘つきじゃないか。舌を抜くだの、地獄に落とすだの、恐そうな文句ばかり並べるくせに、自分の深手は隠したきりで。
 親父、あの時俺は、あんたにどんな鉛を呑ませたんだ?

 周りで人が動く気配。我に返ると、他のメンバーが出口に集まっていた。
 その流れに続きながら、ポケットの携帯を掴んでいた。電話か、メールか、そもそも自分が何を言いたいのかさえ分からなかった。
 だが、アドレス帳に登録があるはずだった。家を出てからこっち、見返したためしもないデータだけれども。
 石段を下りながら、なめらかな四角い塊を手の中で転がした。その先に親父がいる。


END


※閻魔像の解説は本物(手書きで写しました)。脅かすのも効果的だけど、こういう情報流したほうが日本人は猛省すると思うんだけどなあ。


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