WORKSイベント即興小説>河童と娘

 過疎化だのプールの普及だので、昨今は川遊びをする子供もずいぶん減った。
 人間を水に引っ張り込んでなんぼの身には商売上がったりである。だから、暑い盛りの三ヶ月間を川底で待ちぼうけた九月のある日、ついに水面を泳ぐ小さな影を目にした河童は(水中にも関わらず)躍り上がった。早速その足をひっ掴もうと両腕で水をぐんと掻いた。
 近づけない。
 どういう訳か、頑張っても頑張っても相手に追いつけないのだ。
 水中で人間に遅れをとるなど、仲間に知れたら笑い者どころか破門沙汰である。河童は数十年ぶりに手足の先まで力を入れ、鼻息荒く水をけり続けた。が、もう少しで捕まえられると思った次の瞬間、いつも相手はするりと先へ逃げてしまう。
 完全に遊ばれている。妖怪のくせに冷や汗を出しながら泳いで泳いで泳ぎまくった。
 だがそんな努力も全てむなしく、ついに精魂尽きた河童は泳ぐのをやめ、水に漂い始めた。
 河童の川流れもいいとこだな。ぼんやり考えた彼の目の前で、相手がふっと動きを緩め、身を翻した。
 ばあっと水に広がる長い髪。
 見間違いでなければ、夕陽のような黄金色をしている。
 こちらに笑いかける顔。若い娘だ。見たこともない顔立ちなのにあでやかだ。ほっそりと伸びやかな体と、それに続く足――
 二本でなく、一つにまとまった両の足。なぜこんなところで着物など着ているのだろうと思った。が、見慣れた人間の服にしては、裾先が大きく広がっている。
 まるで魚の尾びれのように。
 その時、例えようもなく美しい音がした。音ではない。歌だ。娘の唇が動いている。こんな水の中で。
 待て、なんと言っている? 河童は思わず身を乗り出した。が、言葉なのか音なのかすら曖昧なその歌は、たちまちその心をとりこにし、どこかへ飛ばし去ってしまった。

 い あ ら。

 途方もなく心地よい夢に溶けていく直前、河童は辛うじてそれだけを聞き取った。

 やがて川底の岩に頭をぶつけて彼が我に返ったとき、娘は影も形もなかった。

END


※サークルWonderworld Studioの相方モクタンの奥様・カルちゃんからのリクエスト。イアラ (Iara) はブラジルの人魚。モクタンの次回作に出ますので乞うご期待。


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