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WORKSイベント即興小説>あやし版古(ばんこ)



 勝手知ったる足取りで源三郎が二階の部屋へ足を踏み入れると、あるじのし乃雪は何やら一心に文机の上へ並べている。
 わざと黙って待ってみたが、生き人形さながらに整った横顔は難しげにしかめられ、こちらへ気づくふうもない。源三郎は大げさに呼ばわった。
「おーお、呼び出しといてつれないねえ、太夫」
 と、待っていたように相手はひょいと振り向いた。
「遅いぞ、源の字。あらかた組み上がってしまった」
 し乃雪の悪びれもしない顔へ苦笑いを返し、源三郎は文机へ目を遣った。
「これかい、例の……」

 机の上には、芝居の一場面が、そのまま再現されていた。
 演目は、いま大当りの「忠臣蔵」。紙の舞台の真ん中で、紙人形の四十七士がこれも紙人形の高師直を引き据えている。紙の庭木や屋敷が大道具として彩りを添え、手前の枡席で喝采を送る観客ももちろん紙だ。
 つまり、立版古(たてばんこ)――後の世に言う、ペーパークラフト製のジオラマである。
 ものとしては、浮世絵の一種だ。一枚の紙に部品と仕上り図が刷られており、買った客は図を頼りに、部品を自分で切り抜いて組み立てる。
 芝居や物語の場面、あるいは豪邸名刹。自分で作る楽しみ、仕上りの精巧さが人々に受け、あちこちの版元(出版社)が競って出すまでになっている。

「版元は『いせ寅』か。よく出来てるねェ、八百八町で流行るわけだぜ」
 ためつすがめつしながら唸る源三郎へ、し乃雪はいささか不満げに、ひらひらと仕上り図を振ってみせた。
「残念ながら、これは化けなかった」
 仕上り図は、当り前といえば当り前ながら、机の上の舞台そのままである。




「ごめんよ」
 ちょうど客足が途切れたのを見計らい、源三郎が何気ない調子でくぐったのは、深川の小間物屋の暖簾である。
 ちっと、櫛を見せてもらえぬか。小指を立てながら意味ありげに笑んだ源三郎へ、店の手代ははい只今と愛想笑いを返して奥へ消えた。

 櫛を見つくろってもらう間に、源三郎は一隅へ目をやった。女への買い物とはもちろん口実で、目当てはこれである。
 そこに飾られていたのは、立版古……
 ただし、この小間物屋の店先をそっくり再現したものだったのだ。
 ――ふうむ、聞きしに勝るな。
 源三郎は腕を組んだ。
 門構えや看板は言うに及ばず、棚の品々の並び、果ては柱の木目まで、掌に乗るような紙細工の中に写されている。
 ――おまけに、人形まで生き写しか。
 紙人形も紙人形で、幾体かいるうちの一つは体つきといい、のっぺりした顔といい、まさしく今の手代である。源三郎が思わず(本物の)店の奥をうかがった折も折、当の本人がひょいと姿を現した。

「そちら、ご覧になりましたか」
 幾本かの櫛を手に、手代は半分苦笑いである。
 立版古が目当ての客には慣れっこらしい。源三郎は素直に頭をかき、白状することにした。
「いや、大したもんだ。噂以上だよ。ほんとに誂えたんじゃねえのかい」
「ええ。神かけて、始めはただの、四十七士討ち入りの立版古でございました」

 * * *

 今、歌舞伎座で大当りをとっている「忠臣蔵」。舞台は連日押すな押すなの大盛況で、台詞集やら役者の紋を染めた手拭いやらが飛ぶように売れていた。
 浮世絵も御多分に漏れず、あちこちの版元が役者絵などを次々に出し、人々は争ってそれを求めた。
 神田にある版元「いせ寅」の出したこの討ち入りの立版古もそうした一枚で、初めはまずまずの売れ行きといったところだった。

 が、奇っ怪な出来事が持ち上がった。
 組み立てた絵が化けるというのだ。

 言うまでもなく、立版古を含む浮世絵は版画、つまり量産品だ。誰が買っても組み立てても、出来上りは(上手下手こそあれ)同じにならねばおかしい。
 ところが、確かに忠臣蔵の立版古を買って作ったはずが、組み上がりを見てみると、なんと自分の家の一場面である。壁の暦や柱の傷、家具小物に人間までもがそっくりそのまま。
 そして、いつの間に舞台が自宅に化けたのか、組み立てた者は誰一人、はっきり覚えていないという。

 そんな珍事が数件立て続けに、それも深川界隈に集中して起こった。
 事態の奇妙さに、当初はいせ寅の仕込みを疑う向きもあった。が、肝心のいせ寅は首をひねってばかりである。
 宣伝にしては手間がかかりすぎるし、神田と深川では隅田川の向こうとこちら、ちぐはぐである。
 いよいよもって不可思議だと評判になり、いせ寅の忠臣蔵は売れに売れている。
 し乃雪も噂に惹かれた一人で、自由に動ける源三郎に謎解きのお鉢が回ってきたわけである。

 * * *

「お嬢さんの芝居土産か何かかい」
「はい、歌舞伎座帰りにたまたま通りかかった店先で求め、組み立てた次第です。版元のいせ寅さんとは商売上のお付き合いもございませんで、不思議なことで……」
「ふうむ」
 腕組みで唸りながら、源三郎は何の気なしに、紙細工の店と本物の店とをもう一度見比べた。

(……おや)

 本物に瓜二つと見えた紙細工の店内、真新しい作り付けの棚の部分に、うっすら赤い染みが付いていた。
 刷りのにじみか、紙のムラか。さすがにそこまでそっくりとは行かないらしい。

 話の礼にと手頃な櫛を一本求め、源三郎は店を出た。




「立版古が化けた家を回れるだけ回ったが、どこも心当たりが無いとよ。……おい、聞いてるのかい」
 土産にした櫛に夢中のし乃雪に、源三郎は苦笑いした。
「七軒中の三軒は歌舞伎座帰り、しかし三軒は評判を聞きつけて求めただけ。客層も買った店もばらばら。確かに手がかりは無さそうだの」
 それでも話は聞いていたらしく、し乃雪はすらすら返してみせる。
「残る一軒は武家屋敷、それも旗本でな。木の香もかぐわしい門構えに恐れをなして退散したというわけさ。ま、どのみち事情は似たようなもんだろうな」
 源三郎は大げさに伸びをし、ああくたびれたと畳に寝転んだ。
「何をしておる、源の字。版元の調べがまだだろうが」
「人使いが荒い太夫どのだ」
 ぼやきながらも源三郎はぱっと起き上がった。正直なところ、この謎に引き込まれていたのだ。し乃雪太夫どのも、はなからそれを見越しての御指名だろう。




「あいにく、私どもにも一向に訳が分からず……」
 愛想の良い、だがどこかげんなりしたような「いせ寅」の主が、開口一番に源三郎へ返してよこしたのがこの言葉である。
 恐らく、同じような事を今までに百遍は訊かれているのだろう。それでも立版古が売れているから追い返すわけにもいかず、なけなしの愛想で応じてくれているに違いなかった。
 おおかた予想通りの反応なので、とりあえず版木職人と絵師の名前だけ訊き、源三郎は早々にいせ寅を辞した。

 続いて訪れた版木職人は、さすがにいせ寅の主人以外から事情を訊かれるのは初めてらしく、まあそれなりに応対してはくれたが、こちらからも芳しい情報は引き出せなかった。

 残るは絵師である。源三郎は、教えられた裏長屋の横丁へ足を踏み入れた。




「ちょっと、これを仕上げちまうから」
 源三郎を部屋に上げ、絵師はまた絵筆を持ち直した。
 待つ間、源三郎は部屋を見回した。
 九尺二間の床一面に広げられた下描きも浮世絵も、みな様々な立版古のものだ。
 そして、机の隅には、あの忠臣蔵の立版古が組まれていた。この長屋が神田にあるせいか、ここのもやはり化けてはいない。見るともなしに見ていると、声が掛かった。

「待たしたな、これで終いだ」
 絵師が筆を置いた。その絵もやはり立版古だ。
「あれ以来、立版古流行りかい」
 机の隅の忠臣蔵を指して苦笑いの源三郎に、絵師は腰を伸ばしながらぼやいた。
「ひっきりなしだわ、手間賃は上がらねえわ。いっそこの絵が本物のお屋敷にでも化けてくれりゃ、貧乏長屋ともおさらばなんだが、あいにく何をどうすりゃどう化けるのか、とんと見当つかねえと来てる」
 煙草盆を引き寄せた絵師に、源三郎は自分も火をもらいながら訊いた。
「化けたのは、あの忠臣蔵だけかい」
「あれだけだ。おかげで注文が来るのは有難えが、ご期待には……お」
 裏口でごそごそ音がする。絵師は床の上のものを隅に寄せ、裏の障子を開けてやった。

 そこからひょいと上がってきたのは、猫かと思いきや、一匹の狸である。

 ――こいつは。
 以前、これの同族と一悶着あったのを思い出し、源三郎は知らず身構えた。
 が、恐れ気もなくとことこ寄ってきた狸は源三郎の匂いを嗅ぐと、慣れたそぶりで絵師の膝に寝転んだ。
「よーしよし。お客さんだぞ」
 絵師の指にじゃれる狸は人懐こく、源三郎が試しに頭を撫でてやった手にも心地よさそうに目を細めている。
「まさか野良じゃあねえよな」
 源三郎の言葉に、狸と戯れていた絵師は煙管をすぱりとふかした。

「隣の手習いの先生に飼われてたんだがね。しばらく前に先生が殺されちまって、引き取ったのさ」

「……なんと」
 知らず身を乗り出した源三郎に、絵師は続けた。
「夜中に物盗りが入ったらしくて、布団の中で頭から血い流して、冷たくなってた。何か硬いもんでガツンとやったって話だが、下手人はまだ挙がらねえ」
「そいつはお気の毒だったな」
 絵師は膝の上の狸を抱え直した。
「お前に話ができりゃ下手人も割れるのになって、こいつ囲んで長屋じゅうで嘆いたもんだ」
「よっぽど慕われてたんだなあ、その先生」
「ああ。みんなに好かれた、いいお人だったよ。俺も絵に詰まると隣に行って、二人でこいつと遊びながら色々話をしたっけ。先生、こいつが仔狸の頃からそりゃあ可愛がってね。それが高じて自分の筆までこいつの毛で作ってたよ。……これだ」
 絵師は傍をごそごそやり、一本の細筆を取り出して見せた。確かに色合いといい毛足といい、目の前の狸そっくりである。

「毎日いいモン食わしてるから墨の乗りもいいなんて先生、大自慢でね。……形見にと、狸と筆を一緒にウチに引き取ったある日、こいつがこれを咥えてな、俺に差し出すんだよ。ああ、畜生でも恩は忘れねえんだなって、俺あ」

 言葉を切り、ぐすっと鼻をすすった絵師の横で、源三郎はその筆を見、次いで相手の膝上の狸をまじまじと見た。
 狸はこちらの目をじっと見上げている。

「……絵師さん。あんた、この筆を使ったのかい」

 しばしの間を置いて、源三郎は訊いた。
「ああ、供養代りに、そのとき一度だけ」
「何を描きなすった」
 絵師は少し考え込み、煙管を口から離した。


「あの忠臣蔵だ」


 源三郎は、絵師の膝の狸に顔を近づけた。
「やい狸公。ご主人の仇討がしてえかい」
 ぽかんと口をあけた絵師を尻目に、源三郎はすっと立ち上がった。

「おかげで話の目星がついた。邪魔したな、ありがとうよ」




「貞吉に、芳蔵に、弥十だ」
 深川の大工、甚五郎棟梁は、傍らに座った三人の若い大工を源三郎へ指してみせた。
「あんたが言った現場にのこらず出入りしてたのは、この三人だがね」
 怪訝そうな棟梁へ、源三郎は笑顔を作ってみせた。
「棟梁、ありがとう存じます。……ときにお三方。その現場の、今から言う箇所を修繕したのはどなたかね」
 源三郎は三人を見回し、一つ一つ上げた。

 小間物屋「島田屋」の、店内の棚。
 料理屋「ふくべや」の、鴨居。
 貸本屋「丁字屋」の、ひさし。
 呉服屋「伊豆屋」の、母屋の柱。
 幸兵衛長屋の熊次郎宅の、これも、柱。
 お歯黒長屋の大家宅の、天井。
「それから、箇所は知らないが、旗本の山中様の御宅にも普請に入ってるはずだ」

「へえ、俺で」
 真ん中の芳蔵が、首をかしげながら名乗った。
 源三郎はひと呼吸置き、訊いた。


「芳蔵さん。あんた、神田の善右衛門さんて知ってるかい。手習いの先生で、狸を飼ってなさるんだが」


 芳蔵の顔色が、さあっと青くなった。
「し、知らねえ、そんなお人は。生きてるうちに会ったこともねえ」
「ふうん」
 源三郎はすっと目を細めた。
「知らねえお人が死人だと、お前さん、どうしてご存知だい」

 芳蔵の体が跳ね上がった。傍らの弥十を跳ね飛ばし、廊下に走り出ようとしたところで――
 彼の背に体ごと突っ込んだ源三郎が、その腕を後ろにねじり上げた。
「おい、何をしなさる」
 慌てて止めに入った他の者を放っておき、源三郎は押さえ込んだ芳蔵に畳み掛けた。


「さっき俺が言った家はな、噂の立版古が化けた家さ。なぜだかみんなどっかに赤いシミがついてて、そこを修繕したのがお前だ。――あの立版古の原画、なにで描いたか教えてやろうか? 殺された先生の筆だとよ」


「か、堪忍してくれ。俺じゃねえ」
「なら、なぜ逃げた」
 芳蔵の腕から力が抜けた。

「芳蔵。あの赤いシミがついてた箇所……修繕箇所で使ったゲンノウ(金槌)が、先生殺しの凶器だろう?」




「狸の筆の立版古が、先生殺しを暴いたわけかい」
 桜貝のような唇から煙管を離し、し乃雪はゆったりと煙を吹いた。
「ああ。とんだ一大事さ」
 しゃべりながら、源三郎は出された煎餅をつまんだ。

「化けた立版古にはどれも、赤いシミがついてた。最初は汚れかと気に留めなかったが、手がかりがなくなった辺りで気になった」
 禿が持ってきた茶をすすり、源三郎は続けた。
「よくよく思い返してみると、どの家もみんな、その箇所が真新しかった気がしてな。武家屋敷にはさすがに入れなかったが、それでも木の香が匂っていた」
「それで、大工か」
「ああ。深川のあの界隈を受け持ってる棟梁が甚五郎さんだから、当然そこで働いてる奴が関係してるはずだと当たりをつけて……」
「カマをかけたら、案の定」
「その通り。……まあ、狸公から殺しの下手人を挙げるのは半分賭けだったんだが、図に当たって良かった」
 源三郎は、し乃雪の差し出した煙管を一口吸い、良くもねえがなと付け足した。

「大工の芳蔵は、博打で借金こさえたんだそうな。あの先生を狙ったのは、人づてに噂を聞いて、自分の町から遠いのと、狸を飼うくらいだから金があるだろうと踏んだらしい」
 気乗りしない様子で、源三郎は輪の形に煙を吹いた。
「押し込んだのは夜中だったし、手ぬぐいで顔を隠していた。おまけに先生のほかは狸しかいない家だ。ばれる気遣いはない」
「しかし、その狸が凶器のゲンノウを見ていたわけか」
 し乃雪が、にっと笑った。
「恐らくな。飼い主は博学だし、人の出入りが多い家だ。仔狸の頃から飼われていれば、口はきけずとも人の道具を分かって不思議ではなかろうよ」
「人に飼われた狸でも、まじないを使うのだな。自分の毛の筆で描かせた立版古を、八百八町にばら撒かせ、ゲンノウの持ち主を炙り出した、と……。まるで、かちかち山だ」
 し乃雪は腕を組んで唸った。




 けじめにと、源三郎があの絵師の家を訪れたのは、その半月後だった。
 死者に香華を手向け、狸の顔も見たかった。もっと早く来るつもりだったが、何せ江戸中をにぎわした事件である。物見高い野次馬にさんざん悩まされているだろう絵師を、落ち着くまでそっとしておきたかった。

「ごめんよ」
 部屋の外から声をかけると、ややあって戸ががたぴし開いた。
「やあ、あんたか」
 案の定というかげっそりした顔の絵師は、それでも迎え入れてくれた。

 * * *

「悪かったな。しばらく騒がせちまったんじゃないかい」
 大家と三人して、死者の部屋の前で線香を上げた後で、源三郎は絵師に頭を下げた。
「ちっとがやがやしたが、ま、下手人が挙がったからな。先生には何よりだろうよ」
「ところで、狸公はどうしたね」
 源三郎は部屋の中を見通した。あの丸っこい姿はもとより、それらしき物音一つない。
 絵師は黙って、机の上を指差した。
 その指の先をたどり――源三郎はあっと息を呑んだ。
 あの忠臣蔵の立版古、この前見たときは確かに四十七士討ち入りだったはずの場面が、長屋の一部屋になっている。

 中にいる紙人形は、総髪の初老の男。
 そして、その横にちょこなんと座って彼を見上げる、小さな小さな一匹の狸。

「先生と、あいつさ」
 絵師がぼそりと言った。
「賊がとっ捕まった次の朝、起きたらこうなってた。で、あいつはどこにも」
 言葉を失った源三郎の横で、絵師は背を丸め、美人画を描きにかかった。

「何にせよ、当分、立版古の仕事は御免だね」




 帰る道々、源三郎がふっと見ると本屋の前に人だかりがしていた。
 寄るつもりなどなかったのだが、店先で騒がしい「狸」の一語が妙に懐かしく、釣り込まれるように店を覗いた。
 人々が争うように求めているのは、今日発売の黄表紙である。
 隣で、誰かが声高く読み上げていた。
「どれどれ。『立版古の真の版元は手習いの師匠の飼い狸にて、主殺しの下手人を挙げんがためなり。読み書きかなわず名も書けぬ畜生の身にてあっぱれ報恩の事』か」
 表紙の題は「綾紙版古無字名仇討(あやしばんこむじなのあだうち)」とあった。

 ――商売熱心なもんだ。

 源三郎は、賑わう人垣からすいと離れた。こんなものを土産にしたところで、狐太夫が喜ばないだろう事は、よく心得ていた。


 (了)


WORKSイベント即興小説>あやし版古(ばんこ)