テーブルに鏡を置いて、父が何やら独り言をつぶやいている。
そう言えば、今日はそういう日だった。
どうせアレの前フリに決まっているので、私は気にせずバラエティー番組を見ている。
「それでは視聴者チャレンジクイズコーナー、今週の問題です」
司会者の明るい声。片手の携帯から、番組サイトにアクセスする。
「もともとは芝居の道具で、『蝶や火の玉を飛ばしたりするための棒』だったのが転じて『人を陰から操ること』をあらわす言葉は『○○がね』」
……あれ、何だっけ。知ってるんだけど。
「この『○○』に入る文字を、携帯サイトの回答フォームからお答えください」
あれだよ、あれ。えーと……
「締め切りは20分後です。どしどしご応募くださーい」
だめだ、思い出せない。
「ねえお父さん、あれ何て言うんだっけ。あの、人を陰から操る、ナントカがね、っていう言葉」
私は思わず父に助けを求めたが、父はそれをあっさり握りつぶした。
「そんなことより、父さんの友達にご挨拶しなさい」
「は?」
「父さんの友達だよ。ほら、ここにいるじゃないか」
父の指は、父の隣の椅子……無論カラの椅子を差している。
「お友達って……お父さん、そこには誰も」
言いかけて、私は我に返った。
危ない、危ない。思わず相手をしてしまった。
私はそれ以上何も言わず、自分で考えることにした。
それにしても、父は年々、手が込んでくる。いたずら好きなのは昔からだが。
「おーい、どうしたんだ。さてはお前、この人が見えないんで変に思ってるな」
またしても父の言葉で、私の思考は途切れた。
「いやお父さん、その通りなんだけどさ、考えてくれる気がないんなら邪魔しないでくれる」
私はぶっきらぼうに答えたが、父は一向に意に介さず、腹立たしいほどにこにこしながら言った。
「まあ、そう言うなよ。ちょっとこっちに来て、この鏡を覗いてごらん」
不承不承、私は席を立ち、父の脇から鏡を覗いてみた。
と、父の横……父を挟んで私の反対側に、若い男が立っているのが見えた。
私は思わず鏡から目を外し、現実の世界の、男がいると思われる場所に目をやった。
が、そこには相変わらず、何もいないのだった。
私は、鏡の中に目を戻した。と、若い男が鏡越しに笑いかけてきた。
「やあ、こんにちは」
聞き覚えのない声までする。
「この人が見えないのには訳があってね。この人は吸血鬼で、鏡に映らないんだよ」
「……へ? だって鏡の中にしかいないじゃん」
「それは、今私たちがいるのが鏡の中で、鏡の向こうが本当の世界だからなんだよ」
「はい?」
「なら、理屈が合うだろう? 父さんの他には誰も知らないけどね。……おい、こっちを向きなさいよ」
私はくるりと背を向け、携帯をいじり始めた。クイズの締め切りは10分後に迫っている。
○○がね、○○がね。思い出せない。
「ちょっと。ちょっと、こっちを向きなさい」
私の中で、何かが限界に達した。
「あのねお父さん。毎年毎年でいいかげんネタが尽きたのはわかるけどさ、その辺にしといてくれる? あたしだっていつでも相手ができるほど暇じゃないし、第一そんなのに引っかかるトシじゃないの」
「あ、信じてないな? お前父さん信じてないな? 父さん、今年はウソついてないぞ?」
「まあまあ、彼女が信じないのも無理はないですよ」
またあの声がする。
どうせ父の一人芝居に決まっている。どこから持って来たんだかあんな鏡まで用意して、えらく手がかかっている。
「信じないんなら、これを見なさい!」
父が甲高い声をあげた。ちらりと目をやると、父が鏡に手を突っ込んで、鏡の中からもう一人の父を引きずり出したのが視界の隅に映った。
「ほら! 父さん、現実の世界の父さんを鏡に引きずり込んだんだよ! あの、学校の怪談なんかでよくあるアレだよ!」
背後で二人の父がはしゃいでいる。合間に、なだめているらしきあの声がする。
そっくりさんだか人形だか知らないが、そんな物を持ち出したって、どうせ毎年恒例のアレに決まっているのだ。
あと4分。
ああ、イライラする。そんなくだらないインチキに付き合っている暇はないというのに。
おまけに、こっちが鏡の中だなんて、妄想もいいところだ。
一体、どこをどうしたらそんな発想が飛び出してくるんだか。それとも、あの鏡やら何やらもひっくるめて、誰か別の人間のさしがねなんだろうか。
……あ、「さしがね」。
思いもよらず答えがでたことに狂喜しつつ、私は携帯サイトの回答フォームに「Jち」と入力し、送信した。
(完)