夜が来るのは、烏のせいだ。
「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という都都逸がある。朝ともなれば、かあ、かあ、という声で我々の眠りを覚ます烏は、江戸時代には朝告げ鳥のイメージをもたれていた。
しかし彼らは、実はあの声で夜を生んでいるのだ。
あの姿を見てみるがいい。全身の羽毛は言うに及ばず、目、くちばしから足に至るまで、烏の体は夜の闇色が固まってできたのだ。
そしてその闇から生まれたところの彼らは、その呼気から闇を吐き出す。闇を破る陽が昇るそのときから、彼らもまた、闇を吐きつづけ、それがたまりたまって陽を押しかくし、夜とするのだ。
夜に烏が鳴かないのもそういうわけだ。彼らの子宮であり、寝床であり、彼ら自身でもあるところの闇が訪れたとき、彼らはそれにくるまり、絶対の安息を手に入れるのだ。
たまに夜中、間が抜けたように鳴く烏は、陽の光にしとねを剥ぎ取られる不安からか、それともその悪夢でも見ているのか。
そして、一年のうちでも陽光が猛威をふるう夏には、烏は休むことを知らない。
電線に、手すりに、塀の上に止まりながら、彼らはみな一様に口を開いている。
暑いからではない。烏は呼気から闇を生む。夏に力を増した太陽に対抗するには鳴き声だけでは足りない。彼らはああして口を開け放し、少しでも多くの闇を吐き出しているのだ。
都会に烏が増えている理由も単純だ。昼とも見まごう不夜城の光に恐れをつのらした彼らが、夜を増産すべく大挙して住み着き、産み殖えているというわけだ。
そして、人が烏をおそれるのもまた、そのためだ。
人は、自らを無力に矮小にする夜を昼に変えるべく、光を産み、それを広げてきた。そして烏は闇を生み、光をおしやる。
人は、烏が生み出すところの、また烏そのものでもあるところの、闇を恐れ、忌んでいるのだ。
夜の闇を打ち払う陽が姿をあらわし、朝の烏が鳴きだすその時から、人と烏との争いは幕をあけているのだ。
END