三年に渡って地下の牢獄街に閉じ込められていた「弁当屋」がようやく釈放とあいなった。
そいつが何をしたといって、戦時中にレジスタンスをかくまっただけだ。これ以上の詮索は無用、というのがお上の下した結論だった。
彼のいた地下牢はそもそも、世界遺産の巨大地下洞窟をそのまま使ったものだ。内部構造が複雑なこと、長引いた戦争で収容人数が膨れ上がったことから、お上の管理はあまり行き届かなくなった。弁当屋の話によれば、末期には地上との出入り口のみ封鎖され、中はほとんど囚人の自治がまかり通っていたという。
したがって、牢は一種の街の様相を呈していた。
規模が大きい、というだけの話ではない。閉じ込められている人間はほとんどが一般市民で、種々雑多な背景を持つ。
建築関係者は牢内の拡張やメンテナンスを一手に請け負った。上から支給される食料は肉屋、魚屋、八百屋が管理し、調理師が必要に応じて腕を振るう。のみならず、地下に生息している生き物をこっそり食料倉庫に加えるときは、動物学者や植物学者が知恵を絞った。技師、職人、商人たちも無論それぞれに役割があったし、みなが退屈したときにはアーティストや作家、音楽家が喜んで務めを果たしたものだ。
暗く不自由な牢内においては、自分の役割を果たすことこそが娯楽であり、誇りだった。彼らは膿むことなく働き、笑い、眠った。
そんな彼らを(囚人名簿の次に)最もよく知っていたのが、誰あろう弁当屋である。
塀の外だろうが中だろうが、物を食わない人間はない。ましてこの牢内では、食事は仕事の次にくる楽しみだった。一心に働いている者たちは誰であれ、注文どおりの弁当をこしらえて届けにくる彼を重宝し、日々心待ちにしていた。
幕の内、洋食、麺類に菓子類。頼まれればなんでも作り、届けに行った。それこそが、あの場での彼の喜びだった。
「それが、釈放されたとたんにぷっつり切れちゃいましてね」
彼は深い深いため息をついた。彼を仲間から、仕事から切り離した自由というしろものは、牢獄街で夢見たものより遥かに茫漠として、空虚だった。
「お上は私に慈悲をくれると言いました。これ以上ぶち込んでおく必要もないから、逃がしてやると。けど、事によるとこれは、逆らった私への、お上の罰なのでしょうかね」
あのころは楽しかった。夢見る目で彼は言った。
例えば、光るキノコなんてのがあってね。地上じゃ毒なんですが、なぜかあそこの水で育つと毒が抜ける。茹でると出し汁まで光るから、料理のほかにジュースなんかにも入れまして。ライブの時には注文が殺到したもんです。
「まあそういう訳ですよ刑事さん、私が出前の岡持片手に地下にもぐろうとしたのは」
中の奴らにつけ麺でも届けてやろうかと思って。いえ、見つかったら見つかったで、大手を振ってあそこに戻れるわけですから娑婆に未練はない。実際、首尾よくこうなってますしね。
弁当屋は嬉しそうに、実に嬉しそうに、両手の手錠を掲げてみせた。
END