どうにか座れたものの、こう蒸していては新聞を読む気も出ない。目の前には、酔っ払ったか、つり革を握ったまま動きもしないサラリーマン。その背中にぼんやり目をくれた。ワイシャツは白地に赤と紺のタッターソール・チェック。
漢字の書取帳が、ついで原稿用紙が、らちもなく連想された。
例えば、これを本当に原稿用紙のマスに使って小説を載せたらどうだろう。
今みたいに、遠距離通勤なんかで色々な人が読みふけるに違いない。冒頭なりクライマックス直前なりの一章を載せておいて、最後の部分に「続きは書店で!」とか書いて書名を乗せておけば、結構な広告になるんじゃないか。いや、あんまりいいところで途切れていたら恨まれるかもしれないが。
にしても、今見えるこの背中全体、いやいっそこのシャツ一枚分を埋めるとしたら、いったい何文字分が必要になるだろうか?
そう思ってしまうと、「空白の原稿用紙」という物体(あるいは現象)が突如、耐えがたいプレッシャーとなって眼前に立ちはだかった。きっと、高校時代に趣味で小説など書いていたせいだ。もっと言えば、イベントなどというものに定期的に参加していたせいだ。
私は疲れた目を皿のようにひん剥いて、原稿用紙をその右肩部分から、脳内で埋める作業にかかった。
(……今は殻だけとなった巻貝が、波打ち際にむなしく転がっている。ちょうど一時間ばかり前、カニにやられたのだ……)
* * *
まだ体があったころ、巻貝の中は意識で満たされていた。
さっき食べた餌の味だったり、足元の砂のさりさり言う踏み心地だったり、自分を転がす海水の生ぬるい冷たさだったり。右巻き螺旋の先っぽから口まで、折々感じた事が胴体と一緒にみっちり詰まっていたものだ。
しかし、忍び足で寄ってきたカニの乱暴なハサミが、巻貝の体を殻から引きずり出してしまった。中にあった意識もそのとき、残らず流れ出て消えたのだ。
残った殻の中にはただ、潮騒の音がうつろに響くだけだった。
殻にはそれが悲しかった。これは自分自身の意思を通った音ではない。よそから来た音が気まぐれに入り込んで、また抜けていくだけなのだった。
そして自分のようになった巻貝が持つことのできるものと言えばもうこの潮の音しかないと、太古の昔から決まっている。
もう自分自身の何かで殻を満たせないなら、せめて潮騒以外の音を持つことはできないものだろうか。
たとえば、先日の嵐ですぐそこに流れ着いた「ピアノ」というもの。
昔、船にくっついていた頃、人間たちがそれを弾くのを聞いた事がある。海ではついぞ聞かない音だが、悪いものではなかった。
人間でなくてもいい。鳥でも、雨粒でも、誰かそれを鳴らして、この殻に音を入れてはくれまいか……
* * *
唐突に原稿用紙が動いた。
書きかけの「原稿」は一瞬にして消えさり、思わず奇声が出た。原稿用紙……もといサラリーマンが、怖いものを見るように向けてきたその視線を、私は恨みがましい目で見返した。
気おされて逃げ去るていで下車していく彼を、その背の白紙の原稿用紙を、私はいつまでも目で追い続けた。
END