Y県の夏祭りでは、金魚の形の提灯を家々の戸口につるす伝統がある。
どの家にも必ず一張。大きなショッピングモールともなればエントランスの吹抜けが巨大な水槽と化したかのように、群れをなした金魚がヒレをゆったりとそよがせる様を目にできるだろう。
そのショッピングモール最上階のレストラン街。各店の入り口にも漏れなく金魚提灯が吊るされ、無国籍なフロアにこの時ばかりはゆかしい風情が重なる。
エスカレーターを上って通路を進んだ最奥左手の、大陸スパイス料理チェーン店。ここも例外でなく、赤く塗られた丸い提灯が戸口の右手に下がっていた。
ここの料理の本場の国から来たという店主に、挨拶がてらその話を出すと、彼は秘密めいた口調でささやいた。
――実はね、毎年、友人と一緒に仕込みをやっているんです。
仕込み? 訊き返すと、店主は目を細めた。
――今日、ちょうど彼が来ることになってるんです。もうそろそろかな。
言葉が終わらないうちに店主は入り口へ身を乗り出し、大きく手を振った。目をやると、ちょうど入ってきた、店主と同じような浅黒い肌の外国人男性が手を振り返している。
異国式に抱擁を交わしながら、二人は親しげに語り合っている。言葉は分からないが、彼がその「友人」なのは間違いなさそうだった。
「友人」が、提げてきた紙袋から大事そうに何かを取り出した。赤い球状の張子。金魚提灯だ。
が、違和感。
違和感どころでなく、金魚の顔かたちが全く違う。
この県で見られる金魚提灯の形は、大小の差こそあれ統一されている。目と口はごくごく単純化された円で描かれ、いかにもとぼけた表情である。胸ビレ背ビレはややオーバーなほど長く垂れ、風の動きに合わせて優雅に揺れるのだ。
他方、彼が出した提灯は、古典芸能の化粧のような隈取の、複雑でいかつい様相である。尾びれは短めに、緊張感をもって胴からぴんと立てられている。
こちらの怪訝な顔に気付いたとみえ、「友人」が、自分の駐在しているA県の祭で使う提灯だと、達者な言葉で教えてくれた。
――やっぱり同じように金魚提灯を使うと、この人から聞きましてね。
毎年毎年、この店の提灯と並べて吊るさせてもらっているのだそうだ。
不意に友人が洟をすすった。
――正直、信じられないですねえ。彼とまたこうやって話せるなんて。
訊くと、友人は店主と同郷でなく、地続きの隣国出身なのだそうだ。
二人してこの国に留学してきた時に知り合い、机を並べて学んでいたさなかに二つの国が戦争になった。無論この国にとってはテレビの向こうのニュースだが、当然ながら留学生達にとっては大事である。仲がよかった店主と友人も徐々に気まずくなり、あるとき些細なことで喧嘩になった。それきり卒業して進む道も別れ、本国の戦争が終わった後も長らく没交渉だったという。
それが数年前、友人が出張でこの県を訪れ、たまたま、本当にたまたま立ち寄ったこの店で、実に三十年ぶりの再会となった。
――そりゃもう、夜を徹して話しましたよ。故郷のこと、学生時代のこと、今住んでいる場所のこと。
そこで初めて、お互いの今いる地域にそれぞれ金魚提灯があるのを知り、それ以来祭に合わせてこの店に持ち寄るのが恒例になったという。
――この提灯、彼の住んでる県からこの県に伝わったんだそうです。国ひとつぶん、ずーっとずーっと横切ってね。
それぞれ場所は別々でも、同じものを持ってるんですよ。店主が遠い目でつぶやいた。
こうしてやるとほら、まるで姉妹みたいじゃないですか。戸口の左右に揺れる二張り……二匹を、二人は並んで見上げた。
END