WORKSその他単品>病原体L

 その幼生の形状は主に黒い水に酷似しており、往々にして重ねられた紙の間で繁殖し成体となる。試みにその一葉を開けば、模様にも似た姿でのたくる黒いミミズ様の成体が紙の表面をびっしりと覆いつくしている様を目の当たりにできる。
 成体そのものは紙から動くことはないものの、人間に対して強い感染力を持つ。成体はその形状によって非常に細かい種に分類され、その分類によって対象となる人間は大きく異なる。多くの場合、特定種の成体が特定民族の人間に対して感染し、したがって感染力は種によって大きなバラツキが見られる。世界的に猛威をふるう種もあれば、構成人数わずか1名の少数民族をのみ宿主とする種もある。人間一人に対して一種感染が基本だが例外もあり、一人で複数主に同時感染する人間が見られる反面、現存するいずれの種にも全く感染しない人間も少なからず存在する。
 その繁殖方法は単純だが、同時にひどく巧妙で謎めいている。開かれた紙の上に現れた成体は、宿主となる人間にその眼球を通して感染し、そののち宿主の頭脳に直接作用することによって、新たな幼生を苗床となる紙の上に運ばせて成体となるまで育てさせる。そしてその成体がまた次の人間に感染することでこのサイクルが一巡するわけである。しかし、苗床から人間の眼球にいたるまでの感染経路や感染体そのものは全く不明であり、菌かウイルス状の何かが空気感染するものと辛うじて推測されている。また、人間の脳への働きかけに関しても、その作用の原理ははっきりとは分かっていない。
 そして、その謎の多さにもかかわらずわれわれ人間がそれへの感染に対して恐怖を覚えるどころか誇りを感じ、あまつさえ積極的に広めようとしている事実は、それの増殖機能・防衛機能の巧みさを裏付ける証拠として間違いなく一考に値する。否、むしろそれは細菌やウイルスのような原始的な生命体ではなく、明確な意思をもって人間を操っているのではないかとする言説も一部にはある。特定の種に感染している人間たちが別の種、多くは弱小種の苗床たる紙束をまとめて焼き捨てるという行動(なお、自らと同種のものの紙束に対して同じ行動に出るケースも多数確認されている)が人類史の中でまま見られるが、これは人間がそうするのか、あるいは人間を操ったそれの仕業になるものか、歴史学者の中でも生物学者の中でも意見が分かれるところである。何にせよ、それが現在の人間社会において絶大な影響力を持っていることは間違いなく、われわれは日々それを見、感染し、生み出し、また目にして再感染する。
 しかしながら昨今、宿主である人間の流れが世界的に変化する中にあってこれもまたその影響を免れないと見え、種の淘汰が恐ろしい勢いで進んでいる。前述した極少数の人間を対象とする種の数は年々減少の一途をたどり、対する特定強力種の爆発的な広まりはそれに増して激しい。この傾向を受けて、消えゆく少数種やすでに消えてしまった種を惜しむ一部の人間の間では、新たに宿主を買って出る者も僅かながら出始めている。なお蛇足ながら、この人間の珍妙な寄生者はとある多数言語ではLETTERの名で呼ばれる。


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