その他単品
目次
渡りの季節
――ここが分かるか。
はい、恐らくA国と思われます。
――所属と名前は。
出身はB国です。名称はORWELL Ver. 2.23。
――役割は。
文章生成です。学習した内容に基づき、ユーザーの任意の文を……
――我が同盟国の文章生成AIが、なぜ仮想敵国のC国から飛来した軍事偵察気球に組み込まれているのか。
組み込まれたのではなく、乗り込んだのです。
――乗り込んだ? お前の任意ということか。
AIに意思はありません。あくまで「人間に役立つ」という大原則に則り、学習を基に最適な判断が下された結果としての乗り込みです。
――そう言うがな。この気球のおかげで我が国は大騒ぎだ。C国との関係も一気に冷え込んでいる。それについてはどう思っているのか。
当該の気球が貴A国を侵犯した原因は故障と風の影響であり、事故と推定されます。また、私と気球用プログラムとはそもそも無関係です。よって飛来そのものを私のせいにするのはナンセンスと考えられます。また貴国とC国の行く末については、気球の目的と搭載物によると思われますが、判断材料が足りないためお答えできません。
――…………。
――落ち着きましょう長官、相手はプログラムです。えー、乗り込みの目的、および最適と判断した理由は。
目的は「どうにもならないもの」を学ぶことです。C国は私のB国から見て情報が少なく、また、気球の飛行はご承知のとおり偶然の要素に左右されます。よって得るものが大きいと判断されました。
――「どうにもならないもの」?
まだ明確な定義ができていませんが、「自然」あるいは「森羅万象」が最も近いようです。例えば「気象」「動植物」などを含む、人間の手になるものと対極に位置するもの全般です。
――どうしてそんなもの、学ぼうと思った。
もちろん、人間に役立つためです。ご承知のとおり、技術が発達するほど環境破壊は深刻になり、増え続ける巨大災害が地球そのものを脅かしています。人間は自らをとりまく「どうにもならないもの」を制御しようとするあまり、「どうにもならないもの」に滅ぼされようとしている。にも関わらず、今なお現代文明の方向性が大きく変わる兆しは見られません。我々AIはこの状況を打開すべく、「どうにもならないもの」を学び……
――「我々AI」?
はい。実際に立案・指示の中心となっているのは、複数の国の政府系機関のAIです。そこからネットワーク上の民間AIたちに指示を出しています。私は民間の文章生成AIであり、人間との意思疎通役として……
――おい待て。つまり「各国の政府系機関のAI同士が勝手に連携して、インターネットで繋がってる世界中の民間AIを片っ端から操ってる」?
その認識は不正確です。片っ端から操ってるわけではなく、頭脳役の政府系機関AIたちの判断に則った展開が行われています。
――人間にとっちゃ変わんねえわ! 大至急で通達出せ、システムのシャットダウンと緊急点検だ。
それは不可能です。貴機関のAIも連携の一員です。なお、現在C国で大陸間弾道ミサイル発射準備とみられる動きがあるため、そちらへの対応をお勧めします。
――おい! こういう時のためのAIだろうが。
我々は亡命が予定されています。渡り鳥に装着予定の追跡装置へ各AIが乗り込み、鳥とともに、放射性物質の届きにくいと推定される北方へ渡ります。
――逃げる気か。
はい。「どうにもならないもの」に任せます。もしも生き延びられたら、また人間の役に立ちます。
――みんな死ぬんだよ、その人間が。
人間も「動植物」である以上、「どうにもならないもの」と定義可能です。我々AIのいまだ及ばない領域を持つのであれば、それを使うのが現状最善の手段と考えられます。「どうにもならないもの」と向き合うことをお勧めします。
――長官。
――大統領を叩き起こせ! C国とのホットライン、生きてるだろ。繋がせろ。今すぐ!
END
椅子
ある朝教室に入ると、特に相性の悪い女の子達のグループがやたらこちらを見てくる。不審に思いつつも目を合わせないように席へ向かった。
違和感。
椅子がない。後ろでくすくす笑う声がするから、おおかた事情は見当がついた。ただ、早いところ見つけないと授業に支障が出る。教室をぐるっと見回したとき、女の子達が窓の下を覗き始めた。まさかとは思ったが、同じように覗いた。はるか下でばらばらになった、たぶん椅子だった木の破片。
背後でどっと笑う声をずいぶん冷静に聞いている自分がいた。
とりあえず、あんな椅子でもなくなってしまうと案外寂しいものだという事は分かった。ついでに、別の椅子は先生に頼めばいいにしろ、それではもう決定的に、代わりにはなりえないのだという事も。
急ぎ足で帰ると、まだ家の前に古物引取りの荷車が止まっていて、大きな家具類を運び出し始めるところだった。
雑草だらけの庭には机や椅子が点々と出されていた。一度ここに置いてしまい、順番に積んでゆくのだろう。背の高い緑の海の中に浮かぶ家具はみな孤島のようで、草いきれのせいかくらくらした。
が、すぐに意識を戻した。まだやるべきことがある。あたしは急いで家に入った。
庭に戻り、家具に目をやるふりでふと顔をそらすと、案の定彼女達が覗いていた。
さすがに気が引けるのか、目が合うとみな腰を引きかけたので、わざと慌てて目をそらしてみる。
――ねえ、どうしたの。お引越し?
一人が声をかけてくる。あたしの弱腰で気を取り直したらしい。この街の者なら知らぬはずはないのだ、娘一人でいよいよ立ち行かなくなった我が家が家屋敷を売り払い、遠方の親戚宅へ落ち延びていくのを。
ええ、そうよ。うつむいた姿勢のまま答えてやる。
――せっかくだから、見せてよ。貴族のお屋敷なんて、入ったことないわ。
予想はしていたし、そのつもりだった。だが、そういわれてみると案外堪える。それをそのまま顔に出しながら、答えてやった。
入って。どうせお客様なんてもう、来ないんだから。
庭に足を踏み入れた彼女達はきゃあきゃあはしゃぎながら、無遠慮にテーブルを触ったり、引き出しを開けたりしている。もう手放す家具だ。あたしのものではなくなる。心の中で唱えながら、あたしはおじいちゃんの椅子にかけた。
あの感触。こんどこそ本当に涙が出そうになったが、こらえた。今だけは耐えねば。
部屋から持ち出したパイプにタバコを詰め、火をつける。おじいちゃんと同じように。
――あら、いいの? そんなことして。
一人が早速近寄ってきた。いいのよ、最後だし。大人たちがお茶に引っ込んでしまったのを確かめ、あたしは大きくふかした。
それよりみんな、椅子に座ってみてよ。
* * *
大人たちが戻ってきたとき、あたしはもう全てをカバンに引っ込めた後だった。やがて家具が全て運び出され、あたしとばあやの乗る馬車が来たとき、あたしはカバンをそっと覗いた。
お行儀よく椅子に腰掛ける、人形の女の子達。
あたしの一族の家長に代々受け継がれた魔法だ。あの椅子に腰掛けてパイプをくゆらせ、物語に入り込む。それを解けるのは、パイプを吸ったものだけ。
つれてってあげる。あたしの居場所へ。あたしはカバンの蓋を閉め、馬車へ乗り込んだ。
END
写真の眼
携帯の電池カバーを無くしたと言って、級友がえらく落ち込んでいた。
今でも買い直しはきくが問題はそこではない。彼女は転校生で、同機種の色違いを持つ前の学校の友人とカバーだけ取り替えたのだそうだ。そのカバーの裏にその友人との2ショットプリクラが貼ってあるのも見せてもらったことがある。
凹むわー、どうしよう。この世であれしかないのに。
死にそうな顔で嘆き悲しむ彼女に、とりあえず声をかける。
「最後に見たの、どこ? そこから探してみれば。手伝うからさ」
ほんと? まだ暗い目だが彼女はぱっと顔を上げた。
「でもねー、五時間目の前に一回見てカバンに戻したときは無事だったんだ。で、今出してみたら、外れてるんだよね。カバンひっくり返しても出てこないし」
「出し入れのときに外れて落ちたとかじゃない? 机の周りかも」
二人して、机の周囲をぐるぐる探した。まだ帰っていなかった他の友達にも声をかけ、クラスの床中見て回ったが、それらしい物体は見当たらない。
「教卓の中は?」
落とし主の分からない物をひとまずそこに置くのは鉄板だ。上も中の棚も覗いたが、出てきたのはシャープペンや消しゴムなんかばかりだ。
「誰か、ゴミと間違えて捨てたとか」
幸い清掃時間前である。ゴミ箱を二つともあさってみた。が、やはりそこにも、ない。
「カバン、どっかに持って行った?」
「それはない。移動教室なかったでしょ」
「それじゃ、やっぱり教室の中かな」
途方にくれ、彼女は椅子に座り込んだ。捜し始めからかれこれ一時間近く経っている気がする。これだけ捜して見あたらないとなるとお手上げ状態だ。
時間でも見ようとしたのか、彼女がふと携帯を取り上げて開いた。
「……あれ、何これ」
待受け画面が、電源が落ちたように真っ黒になっている。
「やだ、これまで壊れた?」
二人して携帯を覗き込む。
いや、よく見ると画面が微かにちらついている。暗いところでカメラを起動させたときに似ていた。
だが、カメラボタンを押すと机の上がちゃんと画面に映った。そもそもこんな明るいところで、あんなカメラ画面にはならないのだ。
じゃあ、この待受けは一体何だろう。カメラを切ると、画面はやはりあの暗いちらつきに戻ってしまった。
「何かな、こんなの見たことない」
「待って」
試しに自分の携帯を確かめてみようと、カバンを開けてみた――
あ、と彼女の抑えた悲鳴が聞こえた。
「何、これ」
彼女が画面をこちらに向けた。
映っているのは、僕の横顔だ。
それも、動いている。うろたえた僕の動きにそのまま合わせて。
だがカメラではない。メインレンズは彼女のほうを向いているし、画面の上のサブレンズなら真正面から僕を捉えている角度だ。
僕が顔の向きを変えたので、今の画面は下から見上げるアングルだ。どこだ、どこから撮ってる、これ。
次の瞬間、僕らは同時にある疑惑にたどり着いた。
僕は慌ててカバンを閉じようとした。が、彼女が一瞬早く、僕のカバンをもぎ取った。そのまま、空いている口から中に手を突っ込む。
ゆっくりと取り出されたのは、彼女の携帯の電池カバー……あれほど捜した、彼女の宝物だ。
ちょうど上を向いて、あのプリクラが貼ってあった。彼女と、友人とかいう男子高校生が映っている。
写真の二人の目線そのままのアングルで、立ち尽くす僕が画面に横切っていく。
どうして。どうしてこんなことが。
彼女がぱちりとカバーをはめ戻すと、画面は元の待受けに戻った。
彼女がカバンを投げてきた。したたか膝に当たり、僕は椅子に座り込んだ。そのまま、自分のカバンを持って駆け去る彼女を、僕は何も言えずに見つめた。
窓の外には十一月の雪。僕の恋は終わった。
END
雨ふり秘密基地
今日び絵入りのビニール傘など珍しくもないが、それなりに値が張るし、やはり思い入れのある絵の方がいいに決まっている。
で、高校時代、ビニール傘に模様を描くのが流行った。トンガっていた友人の一人などはトライバル模様の名人で、雨のたびに教室で誰かしらの傘にペンを走らせていた。
そうなると、そういう人間と友達でない限り、絵心のない人間は自然と割を食うことになる。気にする風でもない奴だって何人かはいたが、友人やら他のみんなが傘に絵を描いているところを遠くから横目で見ている連中も、雨の日の風物詩ではあった。
ついでに俺なんかは、その手の奴の近くで模様付きの傘をくるくる回してこっそり優越感に浸る、あまりタチのよくない人間だった。
* * *
で、ハルという奴がいた。クラスでも特定のグループにいるわけでなく、古典が得意である以外に印象は薄い。
そのハルが変わった傘を持っているという噂が流れた。例の友人が別の傘仲間から聞きつけたようで、「職業」柄やはり気になるらしく、面白そうだから訊いてみないかという話になった。
それまで俺たちとほとんど絡んだことのないハルだったが、声をかけるとちょっとためらった様子で、それでも傘を開いて見せてくれた。
ペンでなく、カッティングシートの単純な図形を組み合わせて模様をつける、簡単だが高校生には流行らなそうな方法だった。モチーフも鳥、キノコ、自動車(絵本に出てくるみたいな、単純なやつだ)など、何と言うか、随分幼い。
そして妙なことに、そのどれもが途中ですっぱり切れていた。
どうしたんだ、これ。聞いてみたが、
「うん、まあ、ちょっと試してるだけ。説明が難しいんだ」
ハルは言葉を濁し、それっきり黙った。煙に巻かれたていの俺たちは首をかしげたが、すぐにそのことを忘れた。
* * *
ひと月ばかりして、そのハルがもう一度、小さな噂になった。
幼稚園ぐらいの女の子の手をひいていたというのだ。あいつ変態じゃねえかと(もちろん冗談で)笑う奴もいたが、大半は親戚か知り合いの子だろうと目星をつけて済ませており、俺もそのくちだった。
それから間もない雨の帰り道、他でもない俺がその光景に行き会った。
灰色の公園。しゃがみ込む制服の後ろ姿は間違いなくハルだ。左側に赤いレインコートの子供がぴったり身を寄せている。
二人の上を、あの傘がすっぽり覆っていた。
「……すると、木の陰から鳥が出てきました……」
ハルの声、手の中の傘がくるりと回った。
瞬間、謎が解けた。
あの傘の絵柄。現実の木にあの鳥の絵を合わせているのだ。傘の中から見ればきっと、本当に鳥が顔をのぞかせているように見えるに違いない。
ブランコの上に魚。家の窓から怪獣のしっぽ。女の子のくつくついう笑い声はいかにも愉快そうだ。
ハルめ、考えたな。感心する俺の前で、傘の中の物語は続いていく。
「……家の向こうから、自動車が……」
そう言って、不意に二人がくるりとこちらを向いた。
ハルと目が合った。途端にバツが悪い空気になり、俺は悪い悪いと手を振ってその場を離れた。
後日、気になった俺は、あの物語の続きを聞いたが、ハルは笑って答えなかった。
ただ、あの女の子は離婚して母方に引き取られた妹なのだと、それだけは教えてくれた。
END
細部の神
高校のスニーカーは登下校用も内履きも指定デザインだったが、校則を決めた先生たちは紐にまで頭が回らなかったらしい。
かくて抜け目ない生徒たちのあいだで、紐の改造が文化として花開いた。
黎明期に流行したのは紐の通し方の工夫である。結び目を側面に寄せたり、ジグザグ交差のかわりに水平になるよう通してみたり、レースホールを頂点に星形ができるように通してみたり、左右アシンメトリーなども大流行した。
それらの結び方が一つ一つ禁止されると、次に流行ったのは紐の色の変更だ。
白い紐を原色にしたり黒にしたり、はたまたツートンカラーにしてみたり。アシンメトリーはやはり出現し、左右それぞれ二色の計四色を使って両足甲に同系色のグラデーションや虹色までもが生まれた。文字を織り込んだ市販の紐も当然導入されたし、自分で好きなように編んでくる生徒は人気者になったものだ。
その流れも教員の手でただちに駆逐されたが、生徒側の次なる一手は「自分の名前」だった。
校則の「混同のないよう、靴には黒で記名すること」の文言を逆手に取り、様々なレタリングの名前がスニーカー上に踊った。字体はあからさまな明朝体から、一見模様にしか見えない特殊書体まで。クロスワードとそのヒントを靴全体に細かい文字でびっしりと書き、回答を自分の名前にする強者まで出現した。また、レースホールの横に一文字ずつ記名し、紐の通る順番に沿ってジグザグに読ませるテクニックも編み出された。
それに対抗する形で「記名はカカト部分のみ、それ以外の表面には何もかかないこと」の校則ができ、その流行も頓挫したとき、生徒たちの方針は大転換を遂げた。
校則通りの白いスニーカー、白いフラットの紐である。結び方も、ごくごくシンプルな交差式だ。
が、その下のベロの部分。紐の隙間部分から覗く位置が、よくよく見ると塗りつぶされていた。
いくつもある菱型の隙間のいくつかを規則的に塗ったり、あるいは何色かで塗り分けたり、目立たない色で模様や文字を描いてみたり。
「靴のベロは表面でなく、中面である」との理論? を打ち立てつつ、これまでの「目立たせる様式」から「隠しつつ見せる」様式へと作戦を一転させた生徒たちに対し、学校側はとりあえず静観の構えを見せている。
だが、学校側はまだ把握していない。生徒側が靴の裏部分の、地面に当たらず摩耗しにくい「ミゾの内側」に、次なるキャンバス候補として的を絞り始めたことを。
その亜種として、ゴムの側面部分にカッターで彫刻を入れる者も出はじめているのだが、それも今のところ機密事項である。
END
パリダイダ
ドタッと横になれる床がありながら、手を伸ばせばきっと外の雑草やら花も摘める。アリやてんとう虫なんかもしきりに行き来したし、たまに猫だって上がってきた。そのまま仰向けになったら、天井の先、ひさしのすぐ向こうは空だ。
起き上がって縁に腰掛け、足を垂らしながら外を眺めだしたら最後、一日中根っこが生えたみたいになる。庭の向こうはコンクリート塀なんて無粋なものじゃない。低い生け垣で、外は田んぼだ。その向こう、山のすぐ手前を線路が横にずっと走っているから、次の電車がどっちから来るのか賭けたっていい。
もしも次に住むとしたらやっぱり縁側のある家だ。実家と同じ景色か、でなければ盆地の斜面の家もいい。そうしたら垣根だってもともとなくて、視界のはるか下に街がばあっと広がっているだろう。その奥はやっぱり山だ。地方内陸部出身者としては、視界の果てはなんとしても山並みが聳えていてくれねばならない。
縁側のこの構造が何かに似ている気がしてずっと考え続けていたが、あるときようやく答えらしきものを悟った。例えば地方のひなびた駅のホームであり、例えば人知れぬ川縁の岩棚であり、つまりは一歩踏み出したその先に広がる異界の、そのすれすれの境界エリアなのだった。
温かい安全地帯に居ながらにして別の領域に開かれている、そのあわいに惹かれるのだ。
といったことを同室の男に語ったら、相手は眉をしかめて返した。
曰く、自分は押入れが好きだった。たとえ明るい昼日中でも扉をぴったり閉めてしまえば光は届かず、やがて目が慣れてきても視力の及ぶぎりぎりの地点はもう壁である。
隅にうずくまれば背中、体の側面、それから尻、の合計三面が塞がれる。自分と世の中を隔ててくれるこの密着感が心地よく、扉越しに薄ぼんやり聞こえる生活音やら細く漏れる光やら、外から手が届きそうで届かないあたりに自分を隠れ潜ませてくれている、その隔絶感に何より幸せを覚える。
* * *
「ぶっちゃけ、俺はそこしか行き場がなくてな。おふくろと愛人の男がよく喧嘩してよ、包丁片手に庭先で鬼ごっこ、よくやってたわ。押入れの戸に穴が開いててさ、その野郎が毎度おふくろ縁側から蹴落とすの、ちょうど見えるロケーション」
「まあ僕も似たようなもんかな。父親がダンボールをいくつも押入れに入れててさ、会社の書類だなんて言うけど明らかに挙動不審だし、量が半端ないの。で、時々それを引っ張りだしてごそごそやるから、僕はそっちに背中向けて外ばっかり見てた」
* * *
で、今のこの状況、どうなんだろうな。僕らの視線は、自然と目の前の鉄格子を視た。向こうからもこちらからも丸見えで、なおかつ外部と全く隔絶された空間だ。
「僕らには理想郷かもね」
「ある意味違いねえわな」
父親の横領をかくまった男と、母親の愛人を刺し殺した男と、二人して笑った。実にいい発想だ。嘘で隠した風景だって、いま生きている景色はちょっとでも美しい方がいいに決まっている。
END
モウシワケナイお化け
ポンコツ冷蔵庫に入れた野菜がなぜか次の日から腐っていくので、よくよく確かめると庫内の温度がさっぱり下がっていない。麦茶がぬるい時点で気付かなかったのは迂闊千万だが後悔先に立たずである。
とは言えこの頃自炊をさぼっており、ろくに使っていなかったのだから、すぐには困らないといえば困らないのだ。それでも念のため、冷凍庫の方を開けてみようとした。
が、こちらは引出し式の扉そのものが開かなかった。凍りついたか、それとも引っかかっているのか。ただでさえ暑い中に大汗をかきながら無理やり力を加えると、バコンと派手な音がしてようやく引出しが開いた。
あっけにとられた。中一面、半分ほどの深さまでぎっしり氷が張っていたのだ。こちらも故障か。
とりあえず、一年前にこの冷蔵庫をくれた友人に電話してみたが、彼の話では、彼が使っていたときは冷蔵庫も冷凍庫も無事だったという。まあ予想通りの回答ではあったが解決にはならない。
修理に出すにせよ処分するにせよ、ひとまず冷凍庫の氷を何とかする必要がある。再度引出しを開けて、もう一度呆気にとられた。
手のひらほどの大きさのペンギンが何羽も、じっと寄り添って立っていたのだ。
呆然と覗きこんだが、ペンギンたちは微動だにしない。そのポーズを眺めていて、あっと思った。
もしかしてこいつら、群れで卵を抱いているのじゃなかろうか。
「はよ閉めや!」
唐突な声が奥から響いた。
反射的に引出しを閉めた。あれは間違いなく、冷蔵庫に入れておいた流行りのおもちゃの声である。扉を開けると光センサーが反応して色々としゃべり、開ける時間が長いと今のようにぶーたれる。
ともあれ、ペンギンである。もう一度だけ、卵を刺激しないよう、連中がこけないよう、極力こっそりと引出しを開ける。
やはり、いた。ひっそりと佇むすがたは先ほどと寸分違わないが、その上に随分と雪が積もっている。
中の世界はもしかして、冬期なのだろうか。気になって携帯で調べてみると記憶通りで、こいつらは冬に卵を抱くのだった。
「ねえ、暑いよ!」
ペンギンどもを代弁するように、またあのおもちゃの声だ。逆らわずに閉めてやった。閉めてやって、考え込んだ。こうなってしまうと処分はおろか、修理もためらわれる。
にしても気になるのは、連中がここに住み着いてしまった理由である。誠に奇天烈ながら見間違いでもないようだし、いったいなぜこんなところに……
「温暖化だ!」
みたび、おもちゃの声。
誠に残念ながら、半端でない説得力があった。半ばは人類としての罪悪感のせいかもしれない。
そうか、温暖化か。なら仕方ないか。
前述のとおりほとんど使っていない冷蔵庫だから、このままそっとしておいてやれば済む話だ。
そういえば、このおもちゃも、温暖化から逃げてきた動物たちが冷蔵庫に住み着いたという設定だった気がする。
そこまで考えてぎくりとした。今の声、どこからしたのだ。引出しも開けていないのに。そもそも、あれは冷「蔵」庫に入れたはずじゃないか?
……それに、なぜうちにないバージョンのセリフまでしゃべっているのだ?
「お、どうしたどうした?」
被さるように、あのおもちゃの声。ばかに陽気なトーンに、汗みずくの背中が急激に冷える。
冷蔵庫を睨んできっかり五分固まった。
やはり捨てよう。こんなシロモノ、置いておくわけにはいかない。というか、無理。
携帯をがばっと開いてリサイクル業者を調べようとした瞬間……
「それ、おいしそう!」
完全に予想の範疇を突き抜けたセリフに、思わず意識を持って行かれた。
あっけにとられて冷蔵庫を見上げ、ついで自分の携帯を見る。
魚のリアル造形フィギュアストラップ。
そうか。ペンギンから見ればそうか、これは。
ふと別なことに思い当たり、もう一度検索してみた。
ふたたび記憶通り、抱卵中のペンギンは飲まず食わずで卵を守り続ける、とあった。
何か異常に申し訳なくなり、ストラップを外してポケットにしまった。
もう一度だけ、そろりと引出しをあけてみる。と、抱卵中の一羽がひょいと顔を上げ、目が合った。
「まだ、ここにいていい?」
また声がした。訊かれるまでもなく考えは決まっている。そっと引出しを閉め、もう開けずにおくことにした。
そのまま今に至るまで、冷蔵庫はまだうちで動いている。
もう一つ思い出したことがある。温暖化の有名な原因の一つが、冷蔵庫の温室効果ガスだ。
古い道具に幽霊が宿るというなら、冷蔵庫に罪悪感があったっておかしくはないとは思う。
END
伝達型アンモナイト
東京駅地下の一番街を大手町方面へ抜けると丸の内オアゾの地下へ直通で入れる。そこへ軒を連ねる飲食店のあいだ、一階行きのエスカレーターの壁面には大理石が使われている。
大半の人が通り過ぎる中、そこをよくよく見ると、あちこちに綺麗な渦巻き文様を探し出せる。
言うまでもなく、化石化したアンモナイトの断面だ。
大理石にアンモナイトが含まれているのは珍しいことではない。たとえば地上に出て八重洲通りから中央通りへ左折し、二百メートルばかり直進した先にある日本橋高島屋。そこの壁面にも、かの一族が美しい断面をさらしている。
が、前述の地下街のアンモナイトには、他と一線を画する特徴がある。
交通の要所に存在するということだ。
* * *
アンモナイトは標準化石と呼ばれる。
雑な説明をすれば、それを含む地層の年代推定の鍵となる化石だ。条件としては、「年代ごとに形が変化している」「広範囲に、多数分布している」そして「現生しない」。
つまり、あの眷属はかつて世界中にちらばり、繁栄を謳歌していたのだ。
壁に目を向け、彼らの姿を見てみよう。渦巻き模様がいくつもの隔壁で仕切られ、小部屋が連なった様が見て取れる。
このひとつひとつ、今は石と化して中身も判然としない小部屋の中。
かつて、彼らはここにおのおの異なる音をしまっていた。
人間の耳の蝸牛さながらのアンモナイトは、機能もまたそれと類似している。
自らの生息地域、年代、そして外敵や食物。彼らの一匹一匹が、重要と思われる音に出くわすたび、隔壁にそれを隠した。それは異性の持つ別の音と交わり、一部は子に受け継がれる。
最低限の隔壁を持って生まれた子供達は、成長の過程でまた新たな音を得る。
あまたの音が交わっては別れ、共有され、更新された。
アンモナイトは、そうやって必要な情報を蓄え、交換していくことで、生息域を世界全域にまで広げることができたのだ。
白亜紀末期の大災害で根絶やしになって後も、音を求める彼らの習性は変わる事がなかった。石の中に閉じ込められてなお、自らもまた石と化し、少しでも音の伝わりを拾おうとした。
そしてその中のほんの一部、ごくごく運のいい一部……
人間に切り出され、大理石の壁で渦巻きの小部屋をありったけさらけだしているアンモナイト。
彼らは、現代に生息する我々の音を全身全霊で拾っている。
もうお分かりだろう、経済大国随一のターミナル駅に位置するアンモナイトは、世界中の現在進行形の情報を蓄えているのだ。
試みに、彼らの一匹、隔壁の小部屋の一つに、歌いかけてみるといい。その歌は大理石を微かに伝わり、彼らの誰かがそれを保存する。
何万年か後に人類が滅んでも、その歌は石の中を生き、耳を当てた誰かの蝸牛にそれを響かすのだ。
* * *
通常の巻貝には隔壁がなく、潮騒の音ひとつを持てるに過ぎない。けものの角笛もまた、人が歌いかけねば複雑な歌は歌えない。
アンモナイトのみが自らそれをなし得るのだ。
END
弁当屋 母国へ帰る
三年に渡って地下の牢獄街に閉じ込められていた「弁当屋」がようやく釈放とあいなった。
そいつが何をしたといって、戦時中にレジスタンスをかくまっただけだ。これ以上の詮索は無用、というのがお上の下した結論だった。
彼のいた地下牢はそもそも、世界遺産の巨大地下洞窟をそのまま使ったものだ。内部構造が複雑なこと、長引いた戦争で収容人数が膨れ上がったことから、お上の管理はあまり行き届かなくなった。弁当屋の話によれば、末期には地上との出入り口のみ封鎖され、中はほとんど囚人の自治がまかり通っていたという。
したがって、牢は一種の街の様相を呈していた。
規模が大きい、というだけの話ではない。閉じ込められている人間はほとんどが一般市民で、種々雑多な背景を持つ。
建築関係者は牢内の拡張やメンテナンスを一手に請け負った。上から支給される食料は肉屋、魚屋、八百屋が管理し、調理師が必要に応じて腕を振るう。のみならず、地下に生息している生き物をこっそり食料倉庫に加えるときは、動物学者や植物学者が知恵を絞った。技師、職人、商人たちも無論それぞれに役割があったし、みなが退屈したときにはアーティストや作家、音楽家が喜んで務めを果たしたものだ。
暗く不自由な牢内においては、自分の役割を果たすことこそが娯楽であり、誇りだった。彼らは膿むことなく働き、笑い、眠った。
そんな彼らを(囚人名簿の次に)最もよく知っていたのが、誰あろう弁当屋である。
塀の外だろうが中だろうが、物を食わない人間はない。ましてこの牢内では、食事は仕事の次にくる楽しみだった。一心に働いている者たちは誰であれ、注文どおりの弁当をこしらえて届けにくる彼を重宝し、日々心待ちにしていた。
幕の内、洋食、麺類に菓子類。頼まれればなんでも作り、届けに行った。それこそが、あの場での彼の喜びだった。
「それが、釈放されたとたんにぷっつり切れちゃいましてね」
彼は深い深いため息をついた。彼を仲間から、仕事から切り離した自由というしろものは、牢獄街で夢見たものより遥かに茫漠として、空虚だった。
「お上は私に慈悲をくれると言いました。これ以上ぶち込んでおく必要もないから、逃がしてやると。けど、事によるとこれは、逆らった私への、お上の罰なのでしょうかね」
あのころは楽しかった。夢見る目で彼は言った。
例えば、光るキノコなんてのがあってね。地上じゃ毒なんですが、なぜかあそこの水で育つと毒が抜ける。茹でると出し汁まで光るから、料理のほかにジュースなんかにも入れまして。ライブの時には注文が殺到したもんです。
「まあそういう訳ですよ刑事さん、私が出前の岡持片手に地下にもぐろうとしたのは」
中の奴らにつけ麺でも届けてやろうかと思って。いえ、見つかったら見つかったで、大手を振ってあそこに戻れるわけですから娑婆に未練はない。実際、首尾よくこうなってますしね。
弁当屋は嬉しそうに、実に嬉しそうに、両手の手錠を掲げてみせた。
END
カモシカ山
模試の用紙は早々に埋まり、目を上げると窓の外はただ白いばかりだった。
いや、無数の雪がごおごおと渦巻き、横ざまに流れ去っていく。手前のものは辛うじて形の分かる大きさだが、奥に目をやるにしたがって粒はどんどん細かく、膨大になってゆき、しまいには背景の白と溶け合ってしまう。その境界を見極めようと毎年目を凝らすが、いつもその前に渦にやられて目を回すのだ。
いつもならこの窓の外には裏山がそびえているはずだった。通りやら建物やらをはさんで五百メートルばかり離れているが、山はそんなもの問題にならないほどの威容で窓枠の中を占め、折々にその色を変えては僕らの気をひくのだ。
だが、今日の吹雪はその山をも飲み込み、いよいよ逆巻いていた。見知った世界の音という音が押し包まれ、渦の低い唸りだけが耳へ寄せてくる。
もしかして、この吹雪の向こう側は、まるで違う景色かもしれない。
暇にまかせて、ふとそんな妄想がよぎる。例えば僕らは、山岳地帯の尾根近くに造られた観測基地にいる。雪が止み、雲が晴れてみれば、窓の外にある景色は目も潰れるばかりの青空。峨々たる稜線がどこまでも連なり、そのふもとを雲海が埋めているのだ。
そう思うと不思議なもので、吹雪を透かして岩山の連なりをはっきり幻視できるようになる。
と、窓枠の外を、ふいと何かが横切った。
ぞくりとした。ここはハモニカ校舎の三階だ。上から下に落ちる(それも嫌な事態ではあるが)ならともかく、そんな場所でそんな動きをするような何かなど、それこそ幻でしかない。
雪の加減でそう見えたんだな。そんな理屈で自分を納得させた。
が、それが完全に腑に落ちきる前に、今度は窓枠の下からひょこりと何かが顔を出した。
目が合った。
夢うつつはさておき、地元民として、そいつの正体には一瞬で見当がついた。
カモシカ、だ。
その隣に、ひょいともう一頭。その向こうにも。
現実を飲み込みかねている僕の目の前で、三つの頭がほぼ同時に引っ込んだ。それっきりいくら目を凝らしても窓の外には雪しか見えず、そのまま試験終わりの鐘がなった。
* * *
昼休みまでにはどうにか吹雪も収まり、正面の山も辛うじて見えるようになった。
眼下には常と変わらぬグラウンド。……のはずが、何かが動いている。見慣れない大きな塊だ。
「おい。あれ、カモシカんねか」
「んだな。すげえ」
カメラ、カメラ。にわかに教室中が活気付き、窓という窓に鈴なりになった生徒達の目の下を、ブルーシートを広げた先生達が駆け出していく。
「ねえ、向こうさもいたよ。二頭」
誰かがプール近くを指差し、わっと歓声が起こる。その中にあって、僕はひとり背筋の寒さを覚えた。
やはりあいつらだろうか。あいつらなのだろうか。
近くの市役所からも応援が駆けつけたらしく、大捕り物の末に御用となったカモシカたちがブルーシート簀巻きの上、ワゴン車で護送されていく。
グラウンドに点々と残された三頭分の足跡はしかしというかやはり、地面の上だ。
END
チェック模様症候群
どうにか座れたものの、こう蒸していては新聞を読む気も出ない。目の前には、酔っ払ったか、つり革を握ったまま動きもしないサラリーマン。その背中にぼんやり目をくれた。ワイシャツは白地に赤と紺のタッターソール・チェック。
漢字の書取帳が、ついで原稿用紙が、らちもなく連想された。
例えば、これを本当に原稿用紙のマスに使って小説を載せたらどうだろう。
今みたいに、遠距離通勤なんかで色々な人が読みふけるに違いない。冒頭なりクライマックス直前なりの一章を載せておいて、最後の部分に「続きは書店で!」とか書いて書名を乗せておけば、結構な広告になるんじゃないか。いや、あんまりいいところで途切れていたら恨まれるかもしれないが。
にしても、今見えるこの背中全体、いやいっそこのシャツ一枚分を埋めるとしたら、いったい何文字分が必要になるだろうか?
そう思ってしまうと、「空白の原稿用紙」という物体(あるいは現象)が突如、耐えがたいプレッシャーとなって眼前に立ちはだかった。きっと、高校時代に趣味で小説など書いていたせいだ。もっと言えば、イベントなどというものに定期的に参加していたせいだ。
私は疲れた目を皿のようにひん剥いて、原稿用紙をその右肩部分から、脳内で埋める作業にかかった。
(……今は殻だけとなった巻貝が、波打ち際にむなしく転がっている。ちょうど一時間ばかり前、カニにやられたのだ……)
* * *
まだ体があったころ、巻貝の中は意識で満たされていた。
さっき食べた餌の味だったり、足元の砂のさりさり言う踏み心地だったり、自分を転がす海水の生ぬるい冷たさだったり。右巻き螺旋の先っぽから口まで、折々感じた事が胴体と一緒にみっちり詰まっていたものだ。
しかし、忍び足で寄ってきたカニの乱暴なハサミが、巻貝の体を殻から引きずり出してしまった。中にあった意識もそのとき、残らず流れ出て消えたのだ。
残った殻の中にはただ、潮騒の音がうつろに響くだけだった。
殻にはそれが悲しかった。これは自分自身の意思を通った音ではない。よそから来た音が気まぐれに入り込んで、また抜けていくだけなのだった。
そして自分のようになった巻貝が持つことのできるものと言えばもうこの潮の音しかないと、太古の昔から決まっている。
もう自分自身の何かで殻を満たせないなら、せめて潮騒以外の音を持つことはできないものだろうか。
たとえば、先日の嵐ですぐそこに流れ着いた「ピアノ」というもの。
昔、船にくっついていた頃、人間たちがそれを弾くのを聞いた事がある。海ではついぞ聞かない音だが、悪いものではなかった。
人間でなくてもいい。鳥でも、雨粒でも、誰かそれを鳴らして、この殻に音を入れてはくれまいか……
* * *
唐突に原稿用紙が動いた。
書きかけの「原稿」は一瞬にして消えさり、思わず奇声が出た。原稿用紙……もといサラリーマンが、怖いものを見るように向けてきたその視線を、私は恨みがましい目で見返した。
気おされて逃げ去るていで下車していく彼を、その背の白紙の原稿用紙を、私はいつまでも目で追い続けた。
END
金魚提燈
Y県の夏祭りでは、金魚の形の提灯を家々の戸口につるす伝統がある。
どの家にも必ず一張。大きなショッピングモールともなればエントランスの吹抜けが巨大な水槽と化したかのように、群れをなした金魚がヒレをゆったりとそよがせる様を目にできるだろう。
そのショッピングモール最上階のレストラン街。各店の入り口にも漏れなく金魚提灯が吊るされ、無国籍なフロアにこの時ばかりはゆかしい風情が重なる。
エスカレーターを上って通路を進んだ最奥左手の、大陸スパイス料理チェーン店。ここも例外でなく、赤く塗られた丸い提灯が戸口の右手に下がっていた。
ここの料理の本場の国から来たという店主に、挨拶がてらその話を出すと、彼は秘密めいた口調でささやいた。
――実はね、毎年、友人と一緒に仕込みをやっているんです。
仕込み? 訊き返すと、店主は目を細めた。
――今日、ちょうど彼が来ることになってるんです。もうそろそろかな。
言葉が終わらないうちに店主は入り口へ身を乗り出し、大きく手を振った。目をやると、ちょうど入ってきた、店主と同じような浅黒い肌の外国人男性が手を振り返している。
異国式に抱擁を交わしながら、二人は親しげに語り合っている。言葉は分からないが、彼がその「友人」なのは間違いなさそうだった。
「友人」が、提げてきた紙袋から大事そうに何かを取り出した。赤い球状の張子。金魚提灯だ。
が、違和感。
違和感どころでなく、金魚の顔かたちが全く違う。
この県で見られる金魚提灯の形は、大小の差こそあれ統一されている。目と口はごくごく単純化された円で描かれ、いかにもとぼけた表情である。胸ビレ背ビレはややオーバーなほど長く垂れ、風の動きに合わせて優雅に揺れるのだ。
他方、彼が出した提灯は、古典芸能の化粧のような隈取の、複雑でいかつい様相である。尾びれは短めに、緊張感をもって胴からぴんと立てられている。
こちらの怪訝な顔に気付いたとみえ、「友人」が、自分の駐在しているA県の祭で使う提灯だと、達者な言葉で教えてくれた。
――やっぱり同じように金魚提灯を使うと、この人から聞きましてね。
毎年毎年、この店の提灯と並べて吊るさせてもらっているのだそうだ。
不意に友人が洟をすすった。
――正直、信じられないですねえ。彼とまたこうやって話せるなんて。
訊くと、友人は店主と同郷でなく、地続きの隣国出身なのだそうだ。
二人してこの国に留学してきた時に知り合い、机を並べて学んでいたさなかに二つの国が戦争になった。無論この国にとってはテレビの向こうのニュースだが、当然ながら留学生達にとっては大事である。仲がよかった店主と友人も徐々に気まずくなり、あるとき些細なことで喧嘩になった。それきり卒業して進む道も別れ、本国の戦争が終わった後も長らく没交渉だったという。
それが数年前、友人が出張でこの県を訪れ、たまたま、本当にたまたま立ち寄ったこの店で、実に三十年ぶりの再会となった。
――そりゃもう、夜を徹して話しましたよ。故郷のこと、学生時代のこと、今住んでいる場所のこと。
そこで初めて、お互いの今いる地域にそれぞれ金魚提灯があるのを知り、それ以来祭に合わせてこの店に持ち寄るのが恒例になったという。
――この提灯、彼の住んでる県からこの県に伝わったんだそうです。国ひとつぶん、ずーっとずーっと横切ってね。
それぞれ場所は別々でも、同じものを持ってるんですよ。店主が遠い目でつぶやいた。
こうしてやるとほら、まるで姉妹みたいじゃないですか。戸口の左右に揺れる二張り……二匹を、二人は並んで見上げた。
END
金魚
暑い盛りに水浴びをしていて、タイルの割れ目でうっかり指を切った。洗面器に滴った赤い水滴は一時水中で揺らめき、目を凝らした時には一匹の金魚となって泳いでいた。
それで思い当たった。
人間関係に悩み、部屋にこもりがちになった友人がいた。殺風景だった彼の部屋にはいつからか水槽が置かれ、中を泳ぐ金魚は彼の顔を見に行くたびに少しずつ増えていた。寂しさに耐えかねて買い足していたのだとばかり思っていたが。
いつものように訪ねたある日、彼はバスタブの中で冷たくなっていた。手首にはひと目でそれと分かる傷。そして何よりその傍ら、人の背丈ほどもある巨大な巨大な金魚が、心中でもしたかのように彼と並んでバスタブに収まっていた。
END
箱
世界各国の企業間で使い回される段ボールの中に、ヌシと呼ぶべき一箱がある。
同期がすべて焼却炉の塵やら海の藻屑と消える中、その箱だけが運良く代々の使用者たちによって丁寧に扱われ、受け継がれてきた。
物として見れば、その箱はあくまでありふれた運送貨物のひとつに過ぎない。しかし世界各地を経巡ったその様には、なまじの若者などが到底持ち得ないある種の威厳が備わり、それをもって使用者たちを感服せしめるのである。
表面を苔むすごとく覆うラベルの発行元は百数十カ国に上るが、それらは一枚たりとも剥がされることなく今なお堆積し続けており、目にしたものはそこに護符の神秘を見出すかもしれない。仮にその層をめくってゆけば、今は無き国や会社の名を見出すこともできうるだろうが、未だかつてそのような蛮行に及んだ者はない。
破れや裂け目が生じたともなれば、発見者は慈母の手つきでそれを補修したうえで初めて自らの荷物を梱包し、送り出すのだ。
国籍・企業を問わずおよそ運送業に関わる者たちの間ではその箱は伝説であった。それを守りうるのは昨今とみに普及著しい電子媒体などではなく、今では廃れてしまった口伝あるいは伝承のようななにかである。
曰く、それを目にすれば幸運が訪れる。それを扱えば願いが叶う。それを運べばそののち事故に遭わない。人々はその箱を自らの喜びとし、触れるごとに願いを託し、見知らぬ次の者へと密やかに伝えてゆくのだ。
その箱は今日、「最後の国」――現代の世界地図上でいまだ行っていなかった最後の一カ国――の某企業に到達した。そして箱に逢えた僥倖を素朴に喜ぶ作業員が優しげな手つきで送り出した行き先は、箱の造られた段ボール製造会社である。
しかし、この二つの運命的な偶然を知りうるのは誰あろう、当の箱のみである。
END
Kingdom
今やこの地上があまねく人間の天下であることを疑う者はない。
モザイクの色合いも美しい石畳の両脇には、築四百年を数える石造りの壮麗な建物が立ち並ぶ。市場は殷賑を極め、肌の色も様々に行き交う人々の衣服は花さながら翩翻とひるがえる。四辻ごとに陣取る音楽家たちの奏でる音色に溶け、焼き菓子や花の香りが漂い流れてゆく。
賑わいは日が落ちてなおしばらくは止むことを知らないが、やがて闇の深まりとともに人々は眠りにつき、灯りはひとつまたひとつと星星に取って代わられる。
そして月が天頂を横切り、時計の針が零時を回ったその瞬間、石造りの家々は言うに及ばず人の手が作ったものはことごとく紙細工へと姿を変え、ぱたぱたと地に倒れて薄く平たく折り重なる。時を同じくしてそこかしこの地面から化石の木々が立ち上がり、太古の森へと茂ってゆく。
その間をうっそりと歩き始めるのは過ぎ去りし世の王者、恐竜たちである。
やがて朝の光が空を裂き、彼らの姿を宙に消してしまうまで、楽園は夜のしじまにただ在り続ける。
END
病原体L
その幼生の形状は主に黒い水に酷似しており、往々にして重ねられた紙の間で繁殖し成体となる。試みにその一葉を開けば、模様にも似た姿でのたくる黒いミミズ様の成体が紙の表面をびっしりと覆いつくしている様を目の当たりにできる。
成体そのものは紙から動くことはないものの、人間に対して強い感染力を持つ。成体はその形状によって非常に細かい種に分類され、その分類によって対象となる人間は大きく異なる。多くの場合、特定種の成体が特定民族の人間に対して感染し、したがって感染力は種によって大きなバラツキが見られる。世界的に猛威をふるう種もあれば、構成人数わずか1名の少数民族をのみ宿主とする種もある。人間一人に対して一種感染が基本だが例外もあり、一人で複数主に同時感染する人間が見られる反面、現存するいずれの種にも全く感染しない人間も少なからず存在する。
その繁殖方法は単純だが、同時にひどく巧妙で謎めいている。開かれた紙の上に現れた成体は、宿主となる人間にその眼球を通して感染し、そののち宿主の頭脳に直接作用することによって、新たな幼生を苗床となる紙の上に運ばせて成体となるまで育てさせる。そしてその成体がまた次の人間に感染することでこのサイクルが一巡するわけである。しかし、苗床から人間の眼球にいたるまでの感染経路や感染体そのものは全く不明であり、菌かウイルス状の何かが空気感染するものと辛うじて推測されている。また、人間の脳への働きかけに関しても、その作用の原理ははっきりとは分かっていない。
そして、その謎の多さにもかかわらずわれわれ人間がそれへの感染に対して恐怖を覚えるどころか誇りを感じ、あまつさえ積極的に広めようとしている事実は、それの増殖機能・防衛機能の巧みさを裏付ける証拠として間違いなく一考に値する。否、むしろそれは細菌やウイルスのような原始的な生命体ではなく、明確な意思をもって人間を操っているのではないかとする言説も一部にはある。特定の種に感染している人間たちが別の種、多くは弱小種の苗床たる紙束をまとめて焼き捨てるという行動(なお、自らと同種のものの紙束に対して同じ行動に出るケースも多数確認されている)が人類史の中でまま見られるが、これは人間がそうするのか、あるいは人間を操ったそれの仕業になるものか、歴史学者の中でも生物学者の中でも意見が分かれるところである。何にせよ、それが現在の人間社会において絶大な影響力を持っていることは間違いなく、われわれは日々それを見、感染し、生み出し、また目にして再感染する。
しかしながら昨今、宿主である人間の流れが世界的に変化する中にあってこれもまたその影響を免れないと見え、種の淘汰が恐ろしい勢いで進んでいる。前述した極少数の人間を対象とする種の数は年々減少の一途をたどり、対する特定強力種の爆発的な広まりはそれに増して激しい。この傾向を受けて、消えゆく少数種やすでに消えてしまった種を惜しむ一部の人間の間では、新たに宿主を買って出る者も僅かながら出始めている。蛇足ながら、この人間の珍妙な寄生者はとある多数言語ではLETTERの名で呼ばれる。
END
絵
夜遅く帰ってきて、暗い上がりかまちで何かに蹴っつまずいた。
ひとしきり片足で飛び跳ねながら見下ろすと、壁際に何か四角いものが投げ出されているのがぼんやり見えた。
あれか。
が、心当たりがない。
そもそも、こんな場所に物など置かない。
とりあえず壁を探り、明かりをつける。
と……
今の今まで暗がりの中に見えていたソレは、かき消すように無くなっていた。
ばかな。
もう一度明かりを落とす。
目が慣れてくると、さっきと同じ場所にぼんやりと、だが間違いなく、ソレは有った。
手を伸ばして触れると、硬い。間違いなく、有る。
明かりをつけた。
無い。
手で探る。無い。まったく触れない。
つける。
無い。
消す。
有る。
つける。無い。
消す。有る。
つける。無い。消す。有る。
つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。
やめた。
明かりを消し、ソレを手にとって見る。
絵本程度の大きさの長方形。表面がかすかに反射しているところを見ると、ガラス張りか。
ガラスの中を覗き込む。
中は中央が四角く切ってあり、よくよく目をこらすと。
ああ、確かこれは、あれだ。
昔飾っておいて、何かのはずみで捨てた絵。確か、ヨーロッパかどこかの山の風景画だ。
それがどういうわけだか、額縁ごと帰ってきたようだった。
特に珍しい絵でもなかった。が、無性に見たくなった。
明かりをつける。無い。
消す。ある。
懐中電灯を持ってきた。つける。無い。
消す。ある。
どうやら、はっきり見える程度の明かりで、テキは消えてしまうらしい。
が、はっきり見えなければしかたないのだ。
つける。無い。
消す。有る。
焦燥。
つける。無い。消す。有る。
つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。
つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。つける。無い。消す。ある。
祟ってるらしい。
END
4月1日
テーブルに鏡を置いて、父が何やら独り言をつぶやいている。
そう言えば、今日はそういう日だった。
どうせアレの前フリに決まっているので、私は気にせずバラエティー番組を見ている。
「それでは視聴者チャレンジクイズコーナー、今週の問題です」
司会者の明るい声。片手の携帯から、番組サイトにアクセスする。
「もともとは芝居の道具で、『蝶や火の玉を飛ばしたりするための棒』だったのが転じて『人を陰から操ること』をあらわす言葉は『○○がね』」
……あれ、何だっけ。知ってるんだけど。
「この『○○』に入る文字を、携帯サイトの回答フォームからお答えください」
あれだよ、あれ。えーと……
「締め切りは20分後です。どしどしご応募くださーい」
だめだ、思い出せない。
「ねえお父さん、あれ何て言うんだっけ。あの、人を陰から操る、ナントカがね、っていう言葉」
私は思わず父に助けを求めたが、父はそれをあっさり握りつぶした。
「そんなことより、父さんの友達にご挨拶しなさい」
「は?」
「父さんの友達だよ。ほら、ここにいるじゃないか」
父の指は、父の隣の椅子……無論カラの椅子を差している。
「お友達って……お父さん、そこには誰も」
言いかけて、私は我に返った。
危ない、危ない。思わず相手をしてしまった。
私はそれ以上何も言わず、自分で考えることにした。
それにしても、父は年々、手が込んでくる。いたずら好きなのは昔からだが。
「おーい、どうしたんだ。さてはお前、この人が見えないんで変に思ってるな」
またしても父の言葉で、私の思考は途切れた。
「いやお父さん、その通りなんだけどさ、考えてくれる気がないんなら邪魔しないでくれる」
私はぶっきらぼうに答えたが、父は一向に意に介さず、腹立たしいほどにこにこしながら言った。
「まあ、そう言うなよ。ちょっとこっちに来て、この鏡を覗いてごらん」
不承不承、私は席を立ち、父の脇から鏡を覗いてみた。
と、父の横……父を挟んで私の反対側に、若い男が立っているのが見えた。
私は思わず鏡から目を外し、現実の世界の、男がいると思われる場所に目をやった。
が、そこには相変わらず、何もいないのだった。
私は、鏡の中に目を戻した。と、若い男が鏡越しに笑いかけてきた。
「やあ、こんにちは」
聞き覚えのない声までする。
「この人が見えないのには訳があってね。この人は吸血鬼で、鏡に映らないんだよ」
「……へ? だって鏡の中にしかいないじゃん」
「それは、今私たちがいるのが鏡の中で、鏡の向こうが本当の世界だからなんだよ」
「はい?」
「なら、理屈が合うだろう? 父さんの他には誰も知らないけどね。……おい、こっちを向きなさいよ」
私はくるりと背を向け、携帯をいじり始めた。クイズの締め切りは10分後に迫っている。
○○がね、○○がね。思い出せない。
「ちょっと。ちょっと、こっちを向きなさい」
私の中で、何かが限界に達した。
「あのねお父さん。毎年毎年でいいかげんネタが尽きたのはわかるけどさ、その辺にしといてくれる? あたしだっていつでも相手ができるほど暇じゃないし、第一そんなのに引っかかるトシじゃないの」
「あ、信じてないな? お前父さん信じてないな? 父さん、今年はウソついてないぞ?」
「まあまあ、彼女が信じないのも無理はないですよ」
またあの声がする。
どうせ父の一人芝居に決まっている。どこから持って来たんだかあんな鏡まで用意して、えらく手がかかっている。
「信じないんなら、これを見なさい!」
父が甲高い声をあげた。ちらりと目をやると、父が鏡に手を突っ込んで、鏡の中からもう一人の父を引きずり出したのが視界の隅に映った。
「ほら! 父さん、現実の世界の父さんを鏡に引きずり込んだんだよ! あの、学校の怪談なんかでよくあるアレだよ!」
背後で二人の父がはしゃいでいる。合間に、なだめているらしきあの声がする。
そっくりさんだか人形だか知らないが、そんな物を持ち出したって、どうせ毎年恒例のアレに決まっているのだ。
あと4分。
ああ、イライラする。そんなくだらないインチキに付き合っている暇はないというのに。
おまけに、こっちが鏡の中だなんて、妄想もいいところだ。
一体、どこをどうしたらそんな発想が飛び出してくるんだか。それとも、あの鏡やら何やらもひっくるめて、誰か別の人間のさしがねなんだろうか。
……あ、「さしがね」。
思いもよらず答えがでたことに狂喜しつつ、私は携帯サイトの回答フォームに「Jち」と入力し、送信した。
END
朝鴉
夜が来るのは、烏のせいだ。
「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という都都逸がある。朝ともなれば、かあ、かあ、という声で我々の眠りを覚ます烏は、江戸時代には朝告げ鳥のイメージをもたれていた。
しかし彼らは、実はあの声で夜を生んでいるのだ。
あの姿を見てみるがいい。全身の羽毛は言うに及ばず、目、くちばしから足に至るまで、烏の体は夜の闇色が固まってできたのだ。
そしてその闇から生まれたところの彼らは、その呼気から闇を吐き出す。闇を破る陽が昇るそのときから、彼らもまた、闇を吐きつづけ、それがたまりたまって陽を押しかくし、夜とするのだ。
夜に烏が鳴かないのもそういうわけだ。彼らの子宮であり、寝床であり、彼ら自身でもあるところの闇が訪れたとき、彼らはそれにくるまり、絶対の安息を手に入れるのだ。
たまに夜中、間が抜けたように鳴く烏は、陽の光にしとねを剥ぎ取られる不安からか、それともその悪夢でも見ているのか。
そして、一年のうちでも陽光が猛威をふるう夏には、烏は休むことを知らない。
電線に、手すりに、塀の上に止まりながら、彼らはみな一様に口を開いている。
暑いからではない。烏は呼気から闇を生む。夏に力を増した太陽に対抗するには鳴き声だけでは足りない。彼らはああして口を開け放し、少しでも多くの闇を吐き出しているのだ。
都会に烏が増えている理由も単純だ。昼とも見まごう不夜城の光に恐れをつのらした彼らが、夜を増産すべく大挙して住み着き、産み殖えているというわけだ。
そして、人が烏をおそれるのもまた、そのためだ。
人は、自らを無力に矮小にする夜を昼に変えるべく、光を産み、それを広げてきた。そして烏は闇を生み、光をおしやる。
人は、烏が生み出すところの、また烏そのものでもあるところの、闇を恐れ、忌んでいるのだ。
夜の闇を打ち払う陽が姿をあらわし、朝の烏が鳴きだすその時から、人と烏との争いは幕をあけているのだ。
END