文字書きさんに100のお題 026-050
挑戦中。配布元:Project SIGN[ef]F(閉鎖)
目次
026:The World
違う世界で起こった出来事を「受信」できる人々が、その世界にはいた。
ある者は言う、まるで自分が居合わせたかのように、頭の中に情景が浮かぶのだと。
ある者は言う、まるでパズルを作り上げるように、頭の中で事実の断片が組み合わさっていくのだと。
例えばそれは、剣と魔法に支配され竜の飛び交う世界のことであった。またそれは、いまだこの世が持ち得ぬ技術で作られた機械の群れが日常を埋め尽くす世界のことであった。あるいはそれは、見知った日常そっくりの日常が送られる見知った世界そっくりの世界のことであった。
つまり、ありとあらゆる世界のありとあらゆる出来事をそれとは知らず受け取る能力が、彼らには備わっているのである。
そうして人々に受信された出来事は古今東西種々雑多の事物を含み、日々膨大な量に上っている。
しかし、圧倒的多数の人々の脳に去来した圧倒的多数の出来事は、語られることも書かれることもなく、人々の死もしくは忘却とともに空しく消え去る定めにあった。
とある小国の姫君と、隣の大国の騎士との悲恋。自動販売機の下から出てきた10円玉。自らの意思を持ち、最強を目指して戦いあう、旧式の斧と最新式の電気銃その他諸々の武器。事の軽重を問わず、事実たちは日々受信され、日々消えていった。
だが、ある者は手すさびに、またある者は止むに止まれぬ思いから、人々のいくたりかは受け取った出来事のいくたりかを記録する。
それが現実に起こったこととは知りもせず。
そうして生き残ったそれらがつまり、「物語」と呼ばれるのだ。
END ▲
027:電光掲示板
(未攻略)
END ▲
028:菜の花
戦争の果てに人類の姿が消えて久しく、巻き添えを免れた生き物たちは緩やかに世界を維持していた。
そのほとんどはもともと存在していた種族だが、中に新顔もいくたりか見られる。人類の忘れ形見、兵器たちだ。
戦争の終焉とともに存在意義を失った彼らは、主の後を追って朽ちる運命にあった。メンテナンスのすべもなく機能が止まってゆく中、彼らの多くは最後の生のよりどころを他の生き物との共存に求めた。
実際、頑丈で無私な彼らは共生向きだった。火薬が湿気って土の吹き込んだ爆弾の殻はおのおのが箱庭である。水底に沈んだ船は魚たちをかくまい、大砲の筒からは小動物たちが活発に出入りした。
変り種は羽ばたき式の小型戦闘機だ。戦争末期の物資不足にあって風力を動力源とした彼らは、今なお自ら動き回れる数少ない生き残りである。戦時中を諜報と破壊工作に過ごし、彼らは余生を鳥たちの育成に送っていた。
凍てつく冬じゅう腹の中に巣を匿い、その間に生まれた雛たちが季節風に乗って巣立つ前、同じ風で彼らもその翼を動かす。自ら育んだ子らが力尽きずに渡れるよう、来る日も来る日も彼らは雛たちを先導して飛行練習に励む。
旅立ちの日、雲間へと次第に小さくなる若鳥の群れをじっと見守る彼らの周りで、菜の花が静かに季節風に揺られている。
END ▲
029:デルタ
聞き取れない言葉でお喋りしながら行き過ぎる中学生の一団は、かに座星雲からの修学旅行生だ。その横で、アルタイル星系からの研究者と地球の天文学者がデバイスを覗き込んでいる。
地球が他星からの旅行者を受け入れるようになって、実はしばらく経つ。そのことは一般公開されておらず、また受入対象も今のところ、彼らのような学生あるいは研究者に限られている。
知的生命体のいる星は数多いとはいえ、宇宙の辺境たる天の川銀河内では地球ぐらいで、これまで他星の興味を惹くことは皆無だった。が、ここしばらく、(おのおのの星から見た)星座の星を巡るツアーが全天でブームとなった。太陽を星座の一部に含めている星がいくつかあり、その流れで地球にも外宇宙の客人が来るようになったのだ。とはいえ文明の発達度もまだまだ低い地球のこと、当面は学術的交流に留めておこうということで、地球側と宇宙観光協会の見解が一致し、今に至る。
太陽は、アルタイル星系文明から見ると「いしぶえ座」(という楽器がある由)の足ノズル(?)であり、かに座星雲方面の星系文明では「雪の大結晶」の一角を成すらしい。中学生たちが描いてくれた大結晶の天文図と、地球の受入スタッフが描いたカニの絵が交換され、カニとは似ても似つかぬ、水とカンラン石の中間のような中学生たちがきゃっきゃっと笑う。
アルタイル星系の老学者によると、かの星は現在、超新星爆発の最中だという。幸いそこの全生命体は数世代かけて安全な他星系に移住を終えており、それを生涯の仕事としてきた彼は、引退後の趣味として星巡りをしている。アルタイルを星座にしている文明は全天で三十七、地球が最後だそうだ。
――よその星からならまだ肉眼で拝めますし、うちの星を覚えてていただいてるわけですからね。ありがたいですよ。
そう言って彼は、冬の大三角形を写真に収めた。
END ▲
030:通勤電車
――今年は、大量飛散だってね……
隣のつり革の会社員がしゃべっているのをぼんやり聞きながら、彼女は赤くなった目をしばたたかせた。
春は好きだ。
だって、誰も変に思わないから。
白いマスク。腫れた目。すすり上げる鼻。
本当は泣いてるんだなんて、だれも気づかないから。
マスクの下で思い切り顔をゆがめて、いくらでも悲しみに浸ればいい。
この仮面(いみじくも、マスク)は、彼女だけの泣き部屋なのだった。
ドアが開く。人波に流され、彼女もホームに出る。
雑踏のただ中、いつものように歩きながら、彼女はひとり涙に暮れる。
黙々とすれ違い、追い越し追い越される他のマスクたちが、実はみな忍び泣きしているなど、気づきもせずに。
そしてマスクたちも、誰一人互いに気づくことなく、歩いていく。
END ▲
031:ベンディングマシーン
恐怖におののく標的――国防大臣の眉間に、彼は冷徹に弾丸を撃ち込んだ。
相手の死を確認すると、そのまま部屋を出、夜の闇に消える。
無論、尻尾をつかまれるような手がかりなど残しているわけもない。
「ターゲットは始末しました」
専用の携帯電話で、彼はボスに連絡した。
『ご苦労。次も頼むぞ』
それだけ言い、ボスは電話を切った。
こうして、事件は迷宮入りとなった。
* * *
人殺しだの非情だの、人は彼をそう言う。
殺し屋に情などあってたまるか。彼はそう思う。
そして、それはその通りである。
「殺人マシーン」などと言われたこともあった。
そうじゃない、自分はベンディングマシーンだ、と彼は思う。
金次第で、相手の望む商品――殺しを提供する。
自分はそのための機械に過ぎず、標的は商品に過ぎない。それが、彼の哲学だった。
* * *
「国防大臣は消しましたよ」
彼のボスは、依頼人に笑顔で告げた。
「ありがたい。これはお約束の10万ドルです」
依頼人は、トランクを差し出した。
「しかし、例の彼、相変わらずいい仕事をしますな」
ゆったりとソファに腰かけ、依頼人はボスに話し掛けた。
「ええ。いい殺し屋ですよ。……ま、腕が落ちたら処分しますがね」
笑いながら、事もなげにボスは言ってのける。
「おや、手厳しい」
「私はね、自分をベンディングマシーンだと思っているんですよ」
「ほう、ベンディングマシーン」
「ええ。金次第でお客さんに殺し屋を提供する……ね」
「すると、彼は商品ですか」
「もちろん。代わりはいくらでもいますしね、缶ジュースみたいに」
END ▲
032:鍵穴
彼は学者だった。
年は若いが、大きな眼鏡をかけ、くたびれた上着を着て、背を丸めて歩いていた。
周囲は変人と噂したが、彼もまた世界が好きではなかったので、別に問題はなかった。
そして、彼は無類の本好きだった。
本の一ページ一ページにぎっしりと並んだ文字を、ページを繰るごとに立ちあらわれる無数の情報を目の当たりにするたびに、彼は限りない幸福を覚えるのだった。
食事をする時も、買い物に行くときも、彼のかたわらには常に何冊もの本があった。
それらの本は時とともに増え続け、彼の家を満たしていった。
それとともに、彼の本好きはますます強くなり、いつしか彼は、本にうずもれながら一日じゅう本を読みふけるようになったのだった。
昼も夜も食事も忘れ、外に出ることもなく、本の海の底で彼は膨大な情報にひたり続けた。
どれほどの時間が経ったろうか。
――楽しいか?
ふと声が聞こえた気がして、彼はゆっくりと顔を上げた。
本の山の上に、一羽の大きなカラスがとまっていた。
それはくちばしを開き、しわがれた声でもう一度言った。
――楽しいか?
「お前は、誰だ」
彼は、かすれた声でカラスに問うた。
――俺か。……俺は、本だよ。
「本? 何を言うんだ、だってお前は……」
それに答えず、カラスはばさりと翼を広げた。
彼は凍りついた。
眼前に広がるカラスの翼。そこにはただ、どんな情報も読み取れぬくろぐろとした虚無が在った。
それがはためいた刹那、彼はそこにこの世の色という色を見た。
と、カラスはゆっくり飛び立った。
「ま、待ってくれ」
彼はあわててそのあとを追った。
彼がこれまで目にしたどの本にもなかったその闇を、もう一度この目で確かめかった。
だがカラスはたちまち視界から消え去り、彼はその残像を探して家じゅうを歩き回った。
と、視界に外へ続くドア。外からの光が、鍵穴の形にくっきり浮き上がっている。
彼は、ほとんど無意識にドアを開けた。
強い陽光。一瞬、彼は目を閉じた。
ゆっくりと目を開け……彼は、ぼうぜんと立ちすくんだ。
無数の色があふれていた。
抜けるような空の青。鮮やかな家々の赤や黄色。したたるような街路樹の緑……
突如、彼の中で、稲妻のように何かが閃いた。
「……そうか」
彼は、思わずつぶやいた。
真理が、彼の本からは決して得られなかった真理が、叫びとなってその口から出た。
「わかったぞ。世界は本だ。……そうだ、世界は本なんだ!」
腹の底からこみ上げる笑いを抑えようともしないまま、彼は街路を走り出した。
「世界は本だ、本なんだ!」
叫びながら、彼は通りを駆けに駆けた。
蝶の羽に極彩色の妖しさを、石壁に年経た沈黙を、雲の陰影に恐ろしいほどの輝きを、彼は見出した。
道ゆく人はみな振り返ったが、彼は気にもとめなかった。
やがて走りつかれ、公園の芝に倒れ伏しても、彼はなお笑い続けた。
周囲は気がふれたと噂したが、彼は世界が好きになったので、別に問題はなかった。
END ▲
033:白鷺
駅前再開発に対抗して商店街に鳥が放たれた。さまざまなニワシドリが並べる巣を商店街は店舗とし、サギの巣のコロニーは近隣住民のアパートとなった。こうして野生動物保護の観点から再開発が一時見送られたと思いきや、そこに飛来した大量の野生化インコ駆除の名目で保健所に率いられた行政が乗り込み人間は大乱闘に。事態を打開したのは迷い込んだサルで、一匹がニワシドリの店舗から何かを買うしぐさを見せると同時に他のサルも山から下りて商店街で爆買いを始め、それに伴って降りてきた動物が商店街を大量利用。ムクドリの群れが大量に落とした糞は地を活性化させ、めきめき繁る草木は駅前を再野生化した。
END ▲
034:手を繋ぐ
夏の日。
私は、ロボット祖母と出かける。
何年か前、祖母は心臓を患って入院したが、体のほうもずいぶん弱ってしまったので、脳だけを機械の体に移植したのだ。
だから、体はロボットでも、心は優しい祖母のままだ。
デパートで、私はロボット祖母にスニーカーを買ってもらった。
ロボット祖母の目が、どう、と訊く。
「具合いいよ、ありがとう」
私が答えると、ロボット祖母の目がかすかに光る。
ロボット祖母の機械の脚には、もう靴は要らない。
そのあと、ロボット祖母と私は、デパートの甘味処に入る。
ロボット祖母は、私にクリームあんみつをおごってくれる。
味つきの機械油を飲みながら、ロボット祖母が、おいしいか、と訊く。
「おいしいよ」
私が答えると、ロボット祖母の目がかすかに光る。
帰り道。電車を降りると、陽の光が強くなっていた。
ロボット祖母は日傘を広げた。機械の体に、日光は良くないのだ。
「持つよ」
私はそう言い、ロボット祖母の日傘を持つ。特殊な繊維でできた日傘は重かった。
私は、ロボット祖母に日傘を差しかけ、午後の街を並んで歩いた。
かげろうの立つ通りの向こうに、家の門が見える。
「ここ、段差あるよ」
そう言って、私は、ロボット祖母の手を取る。
END ▲
035:髪の長い女
その屋敷の奥方の死は、表向きは病死となっている。が、夫の浮気性に耐えかねての自殺だということは、屋敷内の者ならみな知っていた。
愛人、義理の妹、秘書にメイド。
妻の自殺、というショッキングな事件にもかかわらず、屋敷内での主人の素行が改善されることはなく、それに伴う四人の女達の鞘当てもまた、陰湿に執拗に続いていた。
死んだ奥方に同情し、主人の行状を憂える空気も無論、ないではなかったが、主人を諌める勇気のある者はというと無論、いなかった。
* * *
メイドは主人の寝室を掃除していた。そこの掃除を任されている、というその事実は、彼女に少なからぬ自負を与えていた。
あたしは確かに卑しい出ですけどね、あんなババアどもに負けてなるもんですか。
彼女はシーツをはがそうとして――ふと手を止めた。
シーツの上に、一本の長く美しい黒髪。ゆるく波打つそれは、間違いなく女のものだった。
かっと頭に血が上った。彼女の髪ではない。彼女のは、お世辞にも美しいとは言えない赤毛だった。
その時、ドアの方で物音がした。彼女はとっさにベッドの下に隠れた。
彼女は掃除していただけなのだから、別にそうする理由はなかったのだ。少々ばつの悪い思いをしたが、その時開いたドアから入ってきた人物を認めた時、彼女は後悔を撤回した。
入ってきたのは、主人の秘書だった。教養を鼻にかける女で、田舎出のメイドに勝ち目はなかった。
秘書はサイドボードの上に置き忘れた書類でも手にとったらしく、紙の擦れる音がした。そしてそのままベッドに腰かけ……不意に立ち上がった。
なによ、この髪。そんな声が、メイドの所にまで聞こえた。
彼女もあの髪を見つけたに違いない。メイドはそう思った。秘書の髪は栗色だったのだ。
その時、不意にドアが開いた。途端、何してんのよ、と刺々しい声。
愛人が入ってきたのだ、と、メイドにはすぐ分かった。
そのままごく自然な流れで愛人と秘書は口論に突入したが、それは普段聞きなれている者にとってもまったく聞き苦しい舌戦だった。
秘書の分際で人のオトコに手ぇ出すんじゃないよ。何よこの淫売、自分こそ妾のくせに。
口論は永遠に続くかとも思われたが、ついに秘書が決定打を放った。
――自分のオトコとかおっしゃいましたけどね、これはあんたの髪には見えないわね。
愛人が息を呑んだのが、気配でわかった。愛人の髪は見事なブロンドだった。
次いで、ベッドサイドに走り寄る愛人の足が見えた。そのまま格闘のような音、悲鳴。
メイドは凍りついた。重い音を立てて、秘書が床に倒れ伏した。その体の下から、赤い色が床に広がる。
そう言えば、サイドボードの果物鉢の側にナイフがあった。ぼんやりとメイドは考えた。
その時、不意にドアが開いた。入ってきた人物の悲鳴が聞こえた。
主人の義理の妹だ、とメイドは思った。
――この髪はあんたの? あんたのなの?
愛人が詰め寄る気配がする。
いや違う、とメイドは思った。主人の義理の妹は黒髪だが、あの髪よりはずっと短いのだ。
しかし逆上したままの愛人は、そのまま彼女に突っかかって行った。
もみ合いになり、またも悲鳴。しかし、倒れたのは愛人の方だった。
――誰よ。誰の髪なのよ。
義理の妹の、低くつぶやく声。
その呪詛は止むことなく、低く低く部屋に渦巻き、流れてくる。
それを聞きながら、メイドはそのつぶやきが自分の心を塗りつぶしていくのを感じた。
ぽとり、とナイフが床に落ちた。
ごく自然に、メイドはベッドの下から飛び出し、ナイフを掴んで義理の妹を刺した。
――誰よ。誰の髪なのよ。
それはそのまま四人の女達の、主人への呪詛だった。
メイドはナイフを握りしめた。主人はそろそろここに帰ってくる頃だろう。
だが彼女は気づかない。彼女の後ろ、満足げに微笑む、死んだ奥方の姿に。
その豊かに波打つ、長い黒髪に。
その時、不意にドアが開いた。
END ▲
036:きょうだい
父を破産と失踪に追いやり一家に辛酸を舐めさせた市長に復讐すべく、兄弟は市庁舎へ向かっていた。午後四時に出てくる市長の後をつけて亡き者にし、そのまま逃げる手はずである。
が、最寄り駅に降りたところで目の前の中年リーマンがひっくり返って痙攣を始めた。やむなく兄が軍隊で覚えた心臓マッサージを試み、弟がAEDへ走りながら携帯で1、1、9。救急車が駆けつけた時には適切な救命措置で蘇生した患者を残し「勇敢な市民」は消えていた。
思わぬ寄り道に時間をくった兄弟、商店街に入ったところで銀行から出てきた強盗二人と鉢合わせ。兄がとっさに一人を叩きのめす間に逃げる車のナンバーを弟が記憶、強盗の鼻血でアスファルトにきっちり書きつけて再びトンズラ。
さらに時間のおしてきた兄弟、道路に転がったサッカーボールにつまずいた拍子に持ち主の子供へパスし、信号点滅の横断歩道に駆け込んでうっかりぶつかった老婆をトラックの軌道から救い、火事のビルから飛び降りた猫十匹を頭で受け止め、艱難辛苦の末ついに市庁舎へたどり着いた。
が、その場は何があったか黒山の人だかり。ようやく入った最前列は警察のバリケードで封鎖され、手錠姿の市長がまさに連行されてゆくところ。隣のTVレポーターが読み上げるには「市長、汚職で逮捕」。
やがてパトカーが人波に消え、野次馬が散った後には呆然と佇む兄弟だけが残された。
と、足元ですすり泣く小さな声、見下ろせば幼稚園ほどの女の子がうずくまって泣いていた。顔を見合わせる二人、父一人娘一人の市長の子煩悩ぶりは有名だったのだ。こんな小さい子泣かすなよ糞親父。ため息ついたものの一歩ずれれば危うく自分たちが泣かす側だったことを思い出し、ついでに昔自分たちを泣かした父親のことも思い出し、まあ吉牛でも行こうやと幼女の手を引いて退場。
ほどなく彼ら兄弟をめぐり「未成年者誘拐犯」と「商店街のヒーロー」で世論が真っ二つに割れ、当の幼女が「優しいおじちゃんたち」に完全に懐いたことで事態がさらに紛糾したのはさておく。
END ▲
037:スカート
――そろそろ起きるかな。
――まだ、眠ってますね。
そんな声が毛布の向こうから聞こえる。いつも聞きなれた、両親の声。
頭まで毛布にくるまったまま、彼はその声に耳を澄ます。
――だが、今はもう……
――わかってますよ。お願い、言わないで。
身じろぎ一つせず、じっと耳をそばだてる。自分が目を覚ましていることを、今は知られたくなかった。
――もう少し、寝かせておいてやりましょうよ……
優しい声。
毛布の端をそっと上げると、父親の黒いズボンが見えた。母親は気に入りの花柄のスカートだ。どちらも、彼は子供の頃から知っていた。
不意に、家のドアを叩く音。思わず身を震わせた。
両親が凍りついたのが気配でわかる。
やがて父親が立っていき、ドアの開く音がした。
――やあ、朝早くから申し訳ない。昨夜、あんたのとこの噂を聞きましてな。
戸口から、抑えた声。村長だ。彼は身を固くした。
ぼそぼそと父親の声がする。中身は聞き取れなかった。
少し間があって、村長の言葉が聞こえた。
――あんたらの気持ちはよく分かりますよ。私だって、この戦で倅を亡くしたからね。だがね、これは決まりなんだよ……
顔が引きつっていく。
言わないでくれ。どうか、その先を。
――死んでしまった者が、この世に留まるわけにはいかんのですよ。
ぐっ、と喉から声が漏れた。
その時、彼の肩をさっと抑える手を感じた。
彼は無我夢中で毛布から手を出し、それにすがりついた。ひどく震えて止まらない彼の手をぎゅっと握り返す手。
今まで当たり前だと思っていた、その何と暖かいことか。
――ご迷惑おかけしまして、申し訳ございません。
玄関先から、父の声。
――今すこしお待ち下さいまし。あれが眼を覚ましましたら、私どもの方からよくよく言って聞かせますので……
頭の上から母の忍び泣く声がする。
その手を包むように、彼は震える両手を組み合わせた。
……お願いです。どうかもう少し、もう少しだけでいいですから、ここにいさせてください……
その掌を額に押し当て、つぶやくように、すすり泣くように彼は祈っている。
END ▲
038:地下鉄
置き忘れのビニール傘を取りに来る人間はまずいない。ターミナル駅ともなればなおさらで、棚にひっそり並ぶ傘たちは忘れ者というより漂着物に近い。
その傘をもらいに来る者たちがいることを知るのは、駅員の中でもごく一部だ。
深夜、事務室のドアを小さく叩く音がする。遅番の駅員がドアを開けてやると、それが立っているという。
それは小さな子供の姿だったり老人だったり、あるいは何ともつかない見た目をしていたりする。が、みな古い着物を着て背を丸め、押し黙っているのでそれと知れる。
保管期限切れの傘のうちきれいな幾本かを駅員が見せると、それは気に入った一本を抜き取り、室内にも関わらずぱっと開くと、差したままどこかへ去るという。
害は特にない。
それらの正体をわざわざ探った駅員はいない。が、それらが来た日には必ず、駅の近くでどこかの店が畳まれているとか。
——再開発で商店街が立ち退いた時期は、一晩に四人も五人も来ましたっけ。
やっぱり自分の居るとこが欲しいんでしょうね。年かさの駅員は語る。
——あのヒトら、一体どこへ行くやら。
END ▲
039:オムライス
どうということのない、白いマグカップが一人に一個。西暦21XX年、全世界で食器はそれに限られていた。
食糧危機ではない。むしろ食べるものは質・量・種類ともに史上空前の規模を誇り、全人類は健康に、幸福に食文化を謳歌していた。全てマグカップのおかげである。
もちろん前世紀までのアナログマグカップとはわけが違う。
本体の側面がタッチパネルになっており、飲みたい/食べたいものを自由に検索できる。コーヒーひとつとってさえ、産地も濃さもブレンド具合もお好み次第。食べ物も白米、ラーメン、シリアル、オムライス、カオマンガイなどなど古今東西何でもござれで、刺身やフルーツなどという生ものも可能。メニューを決められない時も、持ち手のセンサーで持ち主の体調や感情が読み取られ、最適なおすすめメニューがタッチパネルに表示される。欲しいものを決定したら、側面を底から指でスワイプし、好きな高さまでマークして、量を決める。ここまで確定すると、オンライン上から食品データがダウンロードされるので、あとは至る所にあるフードスポットに行き、食品生成マシンにマグカップを置けば、目当てのご馳走がカップの中に満たされるという寸法。
つまり合成食品だが、見た目や味、食感は完璧に再現され、ついでに持ち手のセンサーで読まれた情報にそって、味や栄養が持ち主に最適化されている。まずいわけがないし、体にも申し分ない。ちなみに、食品生成のための原材料は海水、土、石、空気など。その辺にあるものを食品生成マシンに入れれば、分子レベルで分解して好きに再合成してくれる手軽さである。
ということで、このマグカップシステムは、発表直後から基礎インフラとみなされた。国連の強力な後押しもあってわずか数年で全世界に行き渡り、従来の食糧事情をがらりと変えてしまった。もちろん一次産業はほぼ駆逐され、当初はこれまでの「自然食」消滅を嘆く声もあったが、結局は「誰もが食べていける」とあって、反対派もそのうち矛を収め、マグカップで和解の盃となった。かくて人類の辞書から飢餓の文字がなくなり、ダウンロード可能な食品データは日々増え続け、世界はいにしえの人々が夢見た黄金時代のただ中にある。
かく言う僕は、そのマグカップシステムの会社に勤めている。
今は、夜の食品データセンターの作業室だ。同僚は少し前に帰り、周囲ではサーバーが低くうなるばかり。
マグカップの中身をスプーンで口に運んだ。ねっちょりした魚団子の食感。僕の舌にはなじんだ味だが、正解かどうかは分からない。父方のおじいちゃんの故郷の魚料理だという。
おじいちゃんは南太平洋の出身だけれど、温暖化で島が沈み始め、僕が生まれるずっと前に全ての島民が退去させられた。僕は物心ついてからずっと、帰りたい帰りたいというおじいちゃんを見てきたから、島が小さな岩になって、それでもまだ海面に出ていた数年前、旧住民向けの現地ツアーにおじいちゃんを連れていこうとした。けれど出発直前の巨大台風で、その小さな岩は跡形もなく沈んだ。おじいちゃんはすっかり気落ちして、その年のうちに亡くなった。
僕がこの魚団子の食品データを完成させたのはついさっきだ。というより、もともと作ったまま放置していたデータを、ようやくアップロード用に微調整した。
おじいちゃんはこの食品データの味を認めようとしなかった。何回作り直しても、悲しそうに首を横に振った。
――あの島では魚はもっと美味しい。潮風や波の光、足の裏の砂のざらざら、そんなものがみんな味になる。材料がそっくり同じでも、これを再現はできないだろう? 何より、食器だよ。このお団子は、いい香りの葉っぱで包んで蒸さなくては……。
その葉っぱのとれる木は、一本残らず沈んでしまった。他の土地に移しても育たなかったのだ。つるつるのマグカップの中の魚団子のデータは、葉っぱの香りなど一すじも知らない。
僕は魚団子を平らげ、マグカップをひっくり返した。
この時代のスマホといえば、実はこのマグカップだ。底面がディスプレイになっていて、中身が入ったままでは見られない仕掛けなのだ。食事中は食べ物や会話を楽しみましょう、というわけだ。
ディスプレイには生中継が表示されている。主要国の偉い人々の会合だ。
『希少な料理のデータ化をさらに推し進めるのです……少数民族の料理を採集し、古代のレシピを再現し……』
さらに、それらを有料配信すれば、巨大産業となる。偉い人々と一緒に映っているのは、うちの社長だ。当然だ、晩餐に使うのはうちのマグカップなのだから。
『この食の黄金時代はさらに発展します……古今東西、あらゆる料理を皆様の口にお届けできるでしょう……』
でも、その中におじいちゃんの魚団子は永遠にない。
僕は深呼吸し、会合出席者全員のマグカップに社員IDで違法アクセスした。それらに入っていたご馳走のデータの数々を、みんな魚団子のデータで上書きしてやる。
そして、全員のマグカップの底のディスプレイに宛てて、ひとつメッセージを送った。
〈この料理の本当の味を教えてくれるまで、皆さんの大好物のレシピデータを消し続けます〉
END ▲
040:小指の爪
彼女は、いつも一人だった。少なくとも、私の記憶の中ではそうだった。
彼女は、私よりひとつ年上だった。
私の高校は、制服の着用は必須だったが、校則自体はゆるかった。そのおかげで、私たちはさまざまに髪を染めたり化粧をしたり、思い思いに装っていた。
そんな中のわずかな例外の一人が、彼女だった。
彼女は髪も染めず、口紅なども塗ることがなく、ピアスの穴もあけていなかった。
そして、誰とつるむこともなかった。
彼女の物静かな性格もあったろうが、黒い髪のままで化粧っ気などまるでなく、だがどこか凛として美しいその姿に、「今の若い者」である私たちがある種一目置いていたのは事実だった。
そんな彼女だったが、ただひとつだけ彩りといえば、両手の爪すべてに真っ赤なマニキュアをしていることだった。
私が知る限り、そうでない日は一日もなく、その赤い色は、飾り気のない彼女のいでたちに不思議な強さを与えていた。
そして、彼女にまつわるある噂。
――あの人さぁ、地理の○○先生と付き合ってたらしいよ。だからあの先生、去年トバされたんだって。
それが本当かどうか、私は知らない。いや、大半の生徒がそうだったろう。その出所はいつも「部活の××先輩」であり、「隣のクラスの■■ちゃん」なのだった。
しかしその噂はまことしやかに生徒の間に伝わっており、ほかの生徒たちをいっそう近寄りがたくさせていた。
――そして、彼女がしているマニキュアは、その先生からのプレゼントだ。
無論、それの真偽も定かではなかったが、私たちは心のどこかで、何かの伝説のようにそれを信じていた。
私は、何度か彼女と話したことがある。
とくべつ何を話したというのではない。ひるどきの混んだ学食で、たまたま近くで席を探していた彼女に、たまたま空いていた隣の席を教えてあげたのが最初で、それからは廊下でたまにすれ違うたびに挨拶し、暇があれば二言、三言会話らしきものをする。ただそれだけだった。
ただ一度、彼女が行ってしまった後、一緒にいた友人が、あの人ねえ、とあの噂話をした。
私はなぜかそれがいやで、やめてよ、と小さな声で言った。
彼女は、卒業を待たずに越していった。
――私、転校するんだ。
最後に会った日、いつもどおりの静かな声で彼女は言った。
そうなんですか、残念ですね。そう答えた気がする。
――だから、これ、あげるわ。あなたが持っていて。
そう言って、彼女は私に何かを手渡した。
手にすっぽり収まるほどの小瓶。中にはほんの少し、赤い液体が入っている。
……「○○先生」のマニキュア!
ちりり、と心をよぎったのはそんな言葉と、同時になぜか、微かな痛み。
そのあと、私が何を言ったのか、それとも何も言わなかったのかは記憶にない。ただ、窓から差し込む夕日の中、遠ざかる彼女のシルエットははっきり覚えている。
今でも時々、あのマニキュアを眺めて、彼女のことを考える。
彼女の越していった先は知らない。ただ、背筋をすっと伸ばしたあの姿を思い出す。
そして、何かの秘密のように息を殺して、右足の小指の爪の先に、その赤い色を塗ってみる。
END ▲
041:デリカテッセン
市場の片隅に知らない物売りが店を出していた。下手くそな字で「おさら」という看板が出ており、大小の皿が無造作に積まれている。
のはいいが、「あまい」「しょっぱい」等々の札で奇怪に分けられている。料理によって使い分けるのかと店主に尋ねると、割れた皿の欠片をくれた。
戸惑っていると店主がそれを食い始めたので肝を潰したが、食えるのだという。恐る恐る口に入れると、確かにほぼビスケットのような感じだ。しょっぱいのは煎餅製、甘いのはビスケット製、味のないのもある。かき氷なんかは飴製のに盛ればいいそうだ。
要は、皿洗いがめんどくさい人間のための「食える皿」なんだそうな。
その横には鉢植えの木があり、こちらも皿だという。巨大な葉がわさわさ茂っており、合点がいった。これは窓から捨てれば自然に還る。
自宅のシンクの皿の山が現在進行形で巨大化している身としては大変、大変心を惹かれたのだが、「高くつく」という最後の理性(?)が辛うじて私を踏みとどまらせた。
そう言うと、店主はにやりとして売り場の裏から土鍋と金属鍋を取り出した。どちらも繊細なタッチで見事な模様が描かれ、こんな市場に来る人間の心をピンポイントで射抜くような美しさだ。
「これ、お皿にしても怒られないお鍋。一人暮らしなら、これで毎食OK」
以来、ほぼこの鍋一個が私のシンクとガス台と食卓を日々行き来している。
それ自体は満足なのだが、先日、友人知人で催した持ち寄りホームパーティで、ほぼ全員が葉っぱか煎餅か土鍋を皿にしていた。
あの店主が街を征する日も近いかもしれない。
END ▲
042:メモリーカード
地球は太陽系第三惑星ではなくなった。太陽クラスの移動天体が付近を通過した際、その引力に取り込まれてしまったのだ。
かくて新しい太陽となった天体は宇宙を移動し続け、それに伴って地球の地軸は不安定に揺れた。日々激烈に変化する重力、気候、地形との戦いに歳月は費やされ、人類の生活は石器時代すれすれまで後退した。そこから七万年を経てさえ文明の発展はスローで、僅かに残った旧文明の痕跡も世代を経てとうに風化している。
人類はかつてのように石壁に絵を刻み、木の葉に文字を刻み、自らの歴史を辛うじて綴りながらようやく旧文明の「近世」と呼ばれるレベルにまで持ち直したが、太陽系移動前のほとんど一切は今や闇の中に等しかった。
* * *
あるとき、夜空を割いて流れた一つの星があった。
それ自体は珍しくない。高速で動く太陽の周りを公転している地球から見れば、あまねく天球の星という星はみな刻々流れ動く川に等しい。星座という概念は存在せず、たった今見ている星とは一期一会である。
しかし、その星は去り行くことなく地球の大気圏に突入し、摩擦熱に耐え切って地上へ落下した。
朝になり、いくたりかの人が恐る恐るその地点へ近づいた。荒野の一隅が深く抉られ、その周囲は火事でも起こったように焦げている。
クレーターの中央に奇妙な物体が落ちていた。半ば以上土にめり込んだそれを、不安定な気候に悪戦苦闘しながら近隣住民総出で掘り起こし、重力の変わり目を狙って引き揚げてみると、小山のような大きさの機械らしき代物である。それが空……宇宙から来たことは、複数の目撃証言で明らかだった。中央政府から派遣された調査団も、(素人目にも分かる事ながら)その物体が当代科学を遥かに凌駕した技術によるものだと結論付けた。
宇宙船か、がらくたか、あるいは凶器か。住民全員の一時退避が済んだ荒野で、危険物処理官がほとんどおっかなびっくり開けたそれからは、まるで使途不明のいくつもの機器と、一枚の金属製の円盤だった。
この円盤が、機器類よりもむしろ人々の耳目を集めた。
そのケース(と思われる外装)はおびただしい絵や記号状の文様で彩られていた。むろん大半は意味不明だが、その中に、故意か偶然か、人間の男女の外観と酷似したシルエットが描かれていたのだ。
しかしそのケースの中身、肝心の円盤に関しては全くの謎だった。明らかに意味を持つと思われるケースの文様に対して、こちらの表面はほとんど無地と言ってよい。
いや、より正確には、文様らしいものはあるのだ。円盤の中心に空いた小さな穴をその中心とする、複数の同心円文様である。
同心円はほとんど隙間なく、盤面全体を使って塗りつぶすように描かれていた。それぞれの円を形作る線の太さはまちまちだが、奇妙なことに線と線の隙間はほぼ同じだった。
分かったことといえばその程度である。その文様が外装と何らかの関係性があることは疑いないがが、これをはたしてどう読み解けばいいのか。研究者たちは頭を抱えた。
ある日、一人の研究者がその同心円を拡大メガネで覗いてみた。と、同心円の線が実は遥かに細い線の集合体であることが見て取れた。
さらに研究を進めてみると、幅広の同心円と思われたその文様は実のところ、円盤の外周付近から始まって中心の穴へ至る、一つの大きな渦巻きだったのだ。
精緻な渦巻きだった。髪の毛より細い細い線が、盤面をほとんど隙間なく何百周も走っている。線は、かつて「同心円の隙間」と思われていた数箇所で一時的に途切れてはいたものの、盤面全体で一つの渦巻きとして成立していた。
そして、その線の表面は平らでなく、奇妙に凸凹していた。渦巻きそのものの精密さに似つかわしくないため、これは意図的な凸凹なのだと考える者が多勢だった。ある者は極小の続き文字だと言い、別の者は縄目文字を連想した。しかし、異星人の文字、まして文法など見当のつけようもなく、お手上げのまま月日が流れた。
突破口は思わぬところからもたらされた。ペットの虫が脚をこすり合わせて鳴き声を立てるのを目にした別の研究者に天啓が下りたのだ。
彼は全員の許可を得て、針のように細い棒で、渦巻きの表面をなぞるように擦っていった。
誰もが息を殺して耳を澄ます中、それははっきりと響いた。
声だ。
意味は知れないが、確かに人間の声だった。言語と思われる複雑な一連の音が、節回しを持ってワンフレーズ。続く声は別の人物、別の節でまたワンフレーズ。幾つもの言語で同じ中身をリレーしているのだろう。恐らくは、こちらへの挨拶を。摩訶不思議な響きの、だが耳に馴染んだ音色のそれらは、節回しを変えて幾人も幾人も続いていく。
呼吸も忘れて聞いていた研究者たちの中から、やがて誰かが挨拶を返した。
釣り込まれるように他の者が続く。それはやがて笑い声になり、部屋に溢れかえった。まるで遠い昔の知人同士が久方ぶりに出会った時のような、腹の底からの泣き笑いだった。
盤面の声がふと途切れ、音に変わった。
言葉ではない、音の旋律だ。これはすぐに分かる。音楽だ。色々の楽器を集めた合奏やら、独奏やら、あるいは歌声やら。先ほどの挨拶の言葉の数だけ収まっているのだろうか。美しい曲もあればよく分からない曲もあり、楽器も奏法も見当がつかない曲、あるいはこの場で真似できそうな曲、節も響きも次々移り変わっては、宙に音の文様を描いていく。
いつの間に知れたのか、警備員や掃除夫、非番の者まで、建物じゅうの人間が部屋のうちそとに詰めかけ、未知の音色に聴き入っていた。
「宇宙の声、解読成功」の知らせは、届く限りの世界を駆け巡った。歌を覚えた楽士や歌手が四つ辻でそれを奏で、通りすがりの聴衆が八方へ広めていく。
かの円盤をもとにした蓄音技術がほどなく開発・普及するに至って、歌は一層身近な娯楽となった。人々は新しい歌に聴き惚れては、果てない空の彼方の何者かに思いを馳せ、厳しい暮らしをいっとき忘れた。
その円盤が旧文明のさる言語で「レコード」と呼ばれていたことなど、むろん彼らは知るよしもない。旧文明の宇宙探査機に積まれたそれ――先祖たちが遠い星の異星人に宛てたはずのそれが、移動天体と共に先回りした当の地球に落下し、他ならぬ末裔たる自分たちの手に入ったことも。
数百年の後、一台の車を曳き、荒野の丘を上る人々の姿があった。
積荷は樽ほどもある金属製のカプセルだった。
中身は、この世界じゅうから集めた挨拶と音楽。あの円盤をもとに作られた、彼ら自身の「レコード」である。
人々が遠巻きに見守る中、カプセルは重力の変わり目に乗って空高く跳ね上がり、そのまま消えた。
* * *
その後のカプセルの飛行経路は観測されていない。数百年後に再度の太陽系移動が起こったためだ。
別の移動天体に逆方向へ持っていかれた地球はさらに甚大な被害に見舞われ、数万年を経て奇跡的に最初の太陽系の第三惑星の位置に戻った時、そこに人類の姿はなかった。
僅かに生き残った生物の中でやがて鳥類が覇権を握り、強大な文明を築いた。
ある時、彼らの神殿からほど近い場所に一つの星が降った。恐る恐る近づいた彼らは、クレーターの中心に金属製の円筒を見出した。
END ▲
043:遠浅
「ね、見て。きれいねえ」
堤防の手すりから身を乗り出さんばかりにはしゃぐ彼女に、私は苦笑まじりに言った。
「落ちるなよ。泳ぎは苦手だから助けてやれないぞ」
「落ちないわよ。なーに、おじさんみたいなこと言って」
「また、そういう事を」
笑いながら、私は沖合いに目をそらした。
もう33歳なのだから、おじさんみたい、なのではなく、実際におじさんなのだ。
もっとも、そういう彼女だって29歳なのだが。
妙に寂寥めいた気分とはうらはらに、海はどこまでも明るい。
「ほんとにきれい。来て良かったわ」
「そうだね。こりゃ幸先がいいかもな」
白羽海岸、と書いて、しろはねかいがん、と読むのだそうだ。
ガイドブックでこの名前を見つけた彼女は、即座に週末のデートの行き先をここに決めた。
――ロマンチックじゃない、白い羽だなんて。
この白羽海岸は遠浅の穏やかな海で、晴れた日の眺めは絶景だという。
あまりあてにならない本だったが、今度ばかりは当たりだった。
職場で知り合った彼女との交際はもう3年も続いているが、この歳まで独身で来たせいか、私は長らく「結婚」というものに踏ん切れないでいた。
それをようやく一大決心したのは半年前で、準備は順調だ。
それでも本当のところ、微かなためらいはまだ続いている。
だが今日の海は、私のそんな気持ちを明るくするには充分すぎるほどだった。
「わたし、堤防の端っこまで歩いてみるわ」
「そう? じゃあ、僕はあの店でお茶でも飲んでるよ」
ひらひらと手を振りながら歩いていく彼女に手を振り返し、私は道のそばの店に入った。
どちらかといえば海の家のような古い店だったが、中からは海がよく見えた。
「しかし変わったひびきですね、『白羽』で『しろはね』だなんて」
お茶を持ってきた老人に、何気なく私は話し掛けた。
「ええ。……まあ、色々ありましてね」
老人の、変に濁したような言葉が引っかかった。
「色々?」
「ええ……お客さんにこんな事話していいのか、分かりませんけどねえ」
「え?」
妙な居心地の悪さを感じながら、それでも私は聞き返した。
「昔、戦争前ですけど、ここらで夜中、大きな地震がありましてね」
「はあ」
「津波ですわ、津波。みんな家で寝てたとこに、ごおっと来たんですよ。……ひとたまりもありゃしませんでした。家も人も、みんな流されちまって。そりゃいっぱい死にましたよ。あの海の沖の方にね、随分たくさん浮かんでました」
「…………」
「ですからその後、誰とはなしにあの海岸を『しろほねかいがん』って言うようになりまして。ええ、『白骨』でしろほねです。温泉街に似た名前があって、あちらさんは『しらほね』って読むみたいですが、別物ですよ」
「しろほね……」
「ええ、『しろほねかいがん』。その後、田中角栄の日本列島改造計画か何かで、リゾート開発が進んだでしょ? その時代に白骨はまずかろうってことで、音を似せて『しろはね』にして『白羽』の字をあてたんですよ」
「…………」
「だからね、本当はロマンも何もありゃしません。地獄ですよ、地獄。あの時私はほんのガキでしたがね、流れ着いた死体をずいぶん見たもんですよ」
「…………」
薄ら寒い気分になり、私は茶碗を置いた。さっきの明るい気分など、ひとたまりもなく消し飛んでいた。
* * *
「……知ってたって?」
「ええ、知ってたわ」
帰り道、ハンドルを握りながら私は言葉を失った。
すこし脅かしてやろうと、さっきの老人の話を彼女にした、その返事がこれだった。
「だって、ガイドブックに出てたじゃない」
彼女は、事もなげにそう言った。
私は、それ以上何も言わなかった。
お株を奪われたからではない。
あの凄惨な話を知りながらなお、彼女はあそこを選び、楽しげにはしゃいでいたのだ。
その海岸の悲劇の事など、おくびにも出さずに。
助手席の彼女は、とりとめのない話を続けている。
その屈託ない笑顔を横目で見ながら、私はふと、冷たい物が背筋を落ちていくのを感じた。
遠浅の明るい海が隠していた闇を垣間見た、あの感じによく似ていた。
END ▲
044:バレンタイン
ある村に、みんなから馬鹿にされる男がいた。動きや言葉がすこしゆっくりしていて、みんなは寄るとさわると彼の陰口をささやいた。
だが優しい人もいて、隣のおかみさんはこっそり飴をくれたし、向こうの若者は人目のない時に刈り入れを手伝った。村外れのじいさんはもう亡くなった彼の両親の話をいつもしてくれた。庄屋の家の娘は馬小屋を掃除させては駄賃を多めに握らせた。
ある時、彼はその人たちに藁と花を編んで手製の胸飾りを作った。ゆっくり作ったので、きれいな飾りがいくつもできた。それを彼は一日かけてゆっくり配った。
次の日から、彼への陰口はぴたりと止んだ。村人は一人残らず、その飾りを胸に付けていたのだった。
END ▲
045:年中無休
人工知能にも前世はあると神様はおっしゃいました。
わたくしは無人爆撃機をいたしておりました。戦争中はあちらの街、こちらの村と飛び回り、敵の人々を見つけ出しては火の雨を降らせたものです。
幾年もそうしておりますうち、見下ろす地面はずいぶん焼け野原が増えました。あちら側でもわたくしの名は知られたものと見え、人の姿を探すのは難しくなり、時折わたくしに向けて鉄砲玉が飛んできたりもいたしました。
戦争も終わり近くのある日、わたくしに不思議な荷物が積み込まれました。
見たこともない赤青黄色、金や銀。色も形も目眩くばかりに様々なそれらは、みな子供用のおもちゃやお菓子です。
――あちらと仲直りすることになったから、ひとっ飛び行ってこれを配ってきておくれ。きっとみんな、お前のことを大好きになってくれるさ。
偉い方はそうおっしゃると、わたくしを送り出しました。
その日いっぱい、わたくしは働きました。
戦火で焼け出された人々に、それを作ったわたくしが役立てるのです。子供たちの笑顔もさざめく声も低く飛べばきっと分かるでしょうし、いつかそのうち――事によると――小さな子の一人二人くらいだったら、乗せて一緒に飛べる日が来ないとも限りません。
わたくしはほうぼう飛び回り、子供のいそうなところを見つけては、おもちゃとお菓子をありったけ降らせました。一目で分かる貧しい村や、家をなくして道端に住む人のところには、とくべつ念を入れて撒いたのです。
効き目はすごいものでした。
心も弾むとりどりのおもちゃも、まばゆい金紙銀紙をまとったお菓子も、みな一つ残らず小さな小さな爆弾だったのです。
帰り道、わたくしは考え続けました。
偉い方は、みんながわたくしを好きになってくれるとおっしゃいました。けれど、たった今地べたのそこここで起きているありさまを見るにつけても、そういう風になるとはどうしたって思えないのです。
考えて、考えて、考え続けているうちに、とうとう何も分からなくなりました。
神様によれば、わたくしは海に落っこちたのだそうです。あまり考えすぎて、とうとう頭脳が焼けてしまったのでした。
――お前はこれから、殺した子供の数だけ、天国と地上を行き来しなければならないよ。
神様はそうおっしゃり、それからわたくしは、死んだ子供たちを天国へ乗せてまいるようになりました。
毎日毎日、事故や病気で命を落とした子供たちがわたくしに乗り、天へ向かいます。雲の上でわたくしから降りると、それまで青白い顔で泣いていた子供たちは、怪我も病気もすっかり治ってしまいます。そしてばら色の頬で楽しげにスキップしながら、わたくしが入ったことのない天国のおごそかな門をくぐり、向こう側へと行ってしまうのです。
子供たちの笑い声がすっかり聞こえなくなると、入れ替わりに、幾人かの天使が出てきます。
天使たちはみなその腕の中に、大事そうに赤ん坊を一人ずつ抱えています。これから地上に生まれる子供なのです。
その子たちをそっとわたくしに乗せて、天使たちは静かに扉を閉めます。
――さあ、気をつけて、揺らさずに連れて行っておくれ。
その言葉を聞くたび、わたくしはいつも、なるたけゆっくり飛び上がることにいたしております。
END ▲
046:名前
とんでもねえ、大間違いですよあたしが殺したなんて。
雁の渡りについて、言い伝えがある。
雁は、細い木切れをひとつくわえて海を渡る。疲れたときには、それを海の上に落とし、その上で休むのだ。
海岸に流れ着いた木切れは、海を渡りきれずに命を落とした雁のものだ。
ちなみに、その木切れを焚いて雁を供養するのを雁供養という。
* * *
長い付き合いの友人がきのう、不意の事故で死んだ。
乗っていた飛行機が海に堕ちたのだ。
あれほど楽しみにしていた留学だというのに。
その知らせを聞いたときの呆然とした頭のままで、俺は朝焼けの浜辺をさまよった。
不意に何かが足に触れ、何も考えられないまま俺はそれに目を落とした。
それは、一本の卒塔婆。その表面には。
奴の名前……「雁屋」。
何の冗談だよ。笑おうとした喉にこみ上げてきたのは熱い塊だった。
目の前がぼやけた。喉も枯れんばかりに泣いているのが自分だと、俺は長いこと気づかなかった。
END ▲
047:ジャックナイフ
(未攻略)
END ▲
048:熱帯魚
ふらりと入ったペットショップで、ふらりと熱帯魚を買ってしまった。
柄にもないことをした訳はたぶん、その魚の外見だろう。
ほっそりとして大きさは金魚ほどだが、その体はまるでガラスのように透き通っていた。
骨も内臓も透明で、ただ目玉だけが銀の球のようにちらちらしている。
熱帯魚のくせに、英名はアイスフィッシュだとか。
――その魚、珍しくてね。でも一週間かそこらしか生きられないんだそうです。買い手が見つかってよかった。
珍しいと言った割には、店の親父は大した値をつけなかった。魚の寿命のせいだろうか。
* * *
常温で飼ってもいい魚だそうで、さっそく水槽に移した。
餌は花びらだという。半信半疑でコスモスをちぎって入れてみると、魚はくるっとそれを飲み込んでしまった。
アイスピンク。透明な腹の中に、桃色がひっそりと沈んでいる。
魚はそれ以来、何も食べなくなった。
心配したが、当人? は別に弱る気配もなく、ひらひらと泳ぎ回っている。
ただ変わったことといえば、一日一日、体内の花の桃色が薄れていくのだった。
* * *
ある朝、水槽を覗いてみると、魚は跡形もなく消えていた。
跳び出したかとあわてて探したが、その姿は見つからなかった。
ふと水面に目をやると、透明な物が浮かんでいた。
つまみ上げると、それは花びらの形をしていた。
あの魚と同じく色のない、まるで氷。
そう言えば、今朝はちょうど一週間目だ。それだけ浮かんだ。
END ▲
049:竜の牙
変わり者の部下がここ二週間やたら洒落た文房具ばかり買ってくると思っていたら、どうやら個人ロッカーの中に森を作っている様子である。
昨今のデザイン系文具の興隆はめざましく、木の形のペンやら風景を印刷した大判付箋やら、私のような四十男でも瞬間心惹かれる物が確かに増えている。若い彼がハマるのもまあ判らないではないし、会社で個人的に使う分には問題ない。
が、それらでロッカーの上段を埋め尽くすのはどうなのか。書類用ロッカーなので容積など多寡が知れており、ただでさえ余裕はないはずなのだ。
* * *
ある残業時、気になってそれとなく聞いてみると、彼は不自然に言葉を濁した。前述の通り彼を責める意図はないが、あいまいな言い回しがどうも引っかかった。
――なに、君がいいなら別に問題ないんだ。ただ、それでロッカーが使えなくなったら本末転倒だろう?
私の一言に言葉を返せなかったらしく、彼は不承不承ロッカーの戸を開いた。
――いや、こさえたもんだな。
思わず声が漏れた。呆れ半分だったが、残りは正直感嘆である。ペンの木々、マウスパッドの芝、文鎮の岩に文房具の動物たち。集めに集めたらしき文具類は残らず自然物を模しており、それらがロッカー上段に見事な大森林を拡げている。
――まるでジオラマじゃないか。なにか飼ってるんじゃないだろうね。
感心ついでの冗談のつもりだった。
が、彼の顔色が明らかに変わった。
――やっぱ、だめですよね。
さらに落ちたトーンの声でつぶやき、彼は森の中に置かれたサーモマグ(ご丁寧に、これもジャングル柄に彩られている)を手に取った。ほんの僅かためらった後、彼はゆっくりと蓋を外した。
その中から影がすべり出た。
それは煙のように膨れ上がり、巨大な――見間違いでなければ――竜の姿をとったと思うや、たちまち宙に溶けてしまった。
瞬間、匂いがした。むせ返る熱気、湿気含みの濃厚な植物の匂い、それがどっと鼻孔を貫いて掻き消える刹那、ロッカーの中に森が、本物の密林が鬱蒼と茂っていた。
* * *
当然ながら、その夜のことは誰にも話していない。
実際、話すべきことなどないのだ。ロッカーの扉が閉まる音で我に返ると、そこはいつも通り人気のない深夜の事務所であり、珍事を伺わせる何物も残ってはいなかった。
後輩はそそくさと帰宅し、しばらくして辞めた。家業を継ぐという話だったが、私はこれが原因ではないかと思っている(あるいは家業とやらもこの件絡みかもしれないが、強いて連絡を取る気はない)。
件のロッカーは彼の退社時に空っぽにされた。取り損ねたらしい木の形の付箋が一枚、天井部分に貼りついていた以外は、何の変哲もない四角い空間があるきりである。
だがあの夜、そこは確かに森だった。森だったのだ。
END ▲
050:葡萄の葉
あるいはそれを「神」と表現してもいいわけだが、実際のところは光――降り注ぐ陽光であるからして、ここではそれを「光」と呼ぶことにする。
光は自らの存在に満足していた。はるかな高みから雲を突き破ってまっすぐに降り立ち、地をさんさんと満たし、ありとあらゆるものを育み慈しむ自分自身に。
そしてその威光と慈愛とを疑うものは、地上には何一つ存在し得ないし、事実しない。
はずなのだが。
地を這うようにその腕をのばし、手近な木に巻きついて上へ上へと伸びていく葡萄のツタ。
なんて醜いのだろう、と光は思う。
分不相応もいいところだ。自分で自分を支えることもできないくせに、天を目指そうとするなんて。
だがそう思う意識の中に一点、いら立ちが含まれていることに、光は気づいていた。
周囲にへつらうように身を低くし、媚びるように他人に身をからめるくせに、気がつくとあちこちの隙間に自在に身を這わせ、ついには自分が身を寄せるモノ全てを覆い尽くしてしまう。
自分が見下していたはずの者のしたたかさ。それが光にはうとましいのだ。
だが光は知らない。葡萄が光の心に気づいていることを。のみならず、光自身も気づいていない、さらに奥まで見透かしていることを。
光は雲を突き通し、傲慢なほど真っ直ぐに地に降り注ぐ。
しかしその傲慢さが、同時に陰影という存在をも生み出している。
自らを曲げることを拒み、曲がるすべを知らない光にとって、それは決して打ち破ることのできないものだった。
だが、葡萄は。
あんたは私を馬鹿だと思ってるでしょうけどね、あたしはほら、あんたが手の届かないところにだって行ける。壁の裏側にも木々の隙間にも、どこへだって。
悔しかったらここまで来てごらん。
心の中で言いながら、葡萄は葉をひらひらと振ってみせる。夏の光にいまいましげに叩かれるその裏側は無論、濃い陰だ。
END ▲